コロナ禍ばかりが話題に上るこのご時世。それも致し方ないことだが、コロナ禍であるかどうかにかかわらず、時代は大きく変容していることも忘れないようにしたい。筆者が今、最も気になっているのは、日本では「産業構造への前時代的認識」と「それを前提とした対応」が、いまだにまかり通っていることである。第3次産業へとヒトが動いている現在、企業(ソシキ)は、すべからく第2次産業(製造業)全盛期の認識から脱することが必要だ。また、未来へとステップする鍵が「DX(デジタルトランスフォーメーション)」なのではないだろうか。
企業構造の新潮流に対応し、国家としてのパラダイムシフトが必要
経済発展とともに各産業の就業者数が変化していくことは、「ペティ=クラークの法則」として知られている。現代の日本は、まさに「第3次産業(第1次の農業・林業・漁業、第2次の鉱業・建設業・製造業を除いた産業。インフラ・流通・サービス・公務・その他)」の就業者が増加傾向にあり、「脱工業化社会」、「サービス産業社会」と呼ぶにふさわしい産業構造に転換している。
日本に先んじた英米において、第3次産業の就業者割合は、先進国の中でも突出して高くなっており、製造業の復権はありえないといえるかもしれない。世界から注目される米国の主要IT企業――いわゆる「GAFA」は、インターネット市場を貪欲に開拓し、検索エンジン、音楽配信、SNS、eコマースなどの領域で、新しい稼ぎ方をいち早く見出していき、政治からも恐れられるプラットフォーマーとなった。この「GAFA」は旧来の第3次産業という定義にはあてはまらないような存在のため一旦置くとして、国内の第3次産業に目を向けると、「対雇用者との関係」に関して由々しき問題点を抱えていることがわかる。それは、「第2次産業のように大幅な生産性の向上が見込めず、雇用者の賃金が上昇しにくいこと」である。
高度成長期の第2次産業全盛時代には、「所得の均等化」と「雇用の拡大」、「国民負担の抑制」は同時に満たすことができた。しかし現在、好ましい経済社会環境の要素であるこの3点は、いずれかを犠牲にしなければ、国家としての最適解が望めない。
例えば、北欧諸国では「国民負担の抑制」を犠牲にして「高負担の福祉国家」を志向した。英米は「所得の均等化」を犠牲にして「格差の拡大」を是としてきた。しかし我が国では、いまだに「二兎」ならぬ「三兎を追う」ような状態で3点すべてを追い求め、製造業全盛時代の呪縛にとらわれているように思える。
古き良き時代の郷愁に浸るより、国民を主役に据えながら、官民において新時代の国家のあり方を真剣に議論し、模索しなければならない。それを具体的なものへとブレークダウンすれば、「国、地方、民間、そして国民のアサインメント、あるいはパラダイム」を主軸に、「教育のあり方」や「社会保障のサスティナビリティ」、「働き方の多様性」にまで及ぶことだろう。