2011年1月28日、チュニジアの首都チュニスの首相官邸近くで反政府のデモ活動をする人々。中央に掲げられたポスターの男性は、抗議の焼身自殺を図った青年だ(写真:AP/アフロ)

 およそすべての革命ないし革命的行為は、現状に対する不満が爆発することによって生じます。そのためには、人々のつながり、ないし連帯が不可欠になります。これまでの歴史で、いくつもの国でそのような事態が発生してきました。逆に言えば、情報が統制され、人々の連帯ができにくい国家で、革命を起こすのは容易なことではありません。

 2010年から2012年にかけ、アラブ世界においてそれまでになかったような規模での反政府デモがおこりました。この運動を総称して、「アラブの春」といいます。とくに運動が燃え上がったのは、チュニジア、エジプト、リビア、イエメンでした。

「アラブの春」が生じたのは、デジタルメディアの普及がきっかけでした。普通ならまったく知り合うことがないはずの人たちが連帯し、政府を倒す活動へと広がったのです。

 それは、デジタルメディアが政治の世界を変革することを可能にしたことを示す適切な事例なのです。

きっかけはチュニジアから

 2010年12月17日、チュニジアで警察官から度重なる嫌がらせを受けていた青年が抗議の意思表示のため、焼身自殺を図るという事件が起きました(青年は18日後に死亡)。これをきっかけとして、国民の間に鬱積していた不満にも火が付き、瞬く間に反政府デモが全土に拡大することになりました。抗議デモの様子がFacebookやYouTubeにアップされ、反政府運動の機運が一瞬にして国中に拡散したのです。

 しかも軍部までも政府から離反したため、翌年年1月14日、ザイン・アル=アービディーン・ベン=アリー大統領がサウジアラビアに亡命し、23年間続いた政権が崩壊しました。

 この事件は、チュニジアを代表する花の名前をつけ、「ジャスミン革命」と呼ばれます。

 反政府の機運が伝播したのはチュニジア国内だけではありませんでした。同じ北アフリカにあるエジプトでも、チュニジアのジャスミン革命に触発され、2011年1月から大規模な反政府デモが発生しました。ホスニー・ムバーラク大統領は内閣総辞職や7カ月後の大統領選への不出馬などを表明したものの、抗議活動の勢いは一向に衰えず、ついに同年2月11日、ムバーラク大統領はジプト軍最高評議会に国家権力を委譲して退陣。ムバーラクの独裁政治は終わりを迎えました。