(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)
猛烈な勢力の台風10号が九州を襲った。これだけ強烈な台風は、5098人の犠牲者を出した1959(昭和34)年の「伊勢湾台風」以来とされる。
その伊勢湾台風をきっかけに、米国が日本の食料安全保障を大きく変えてしまったことを、どれだけの日本人が知っているだろうか。
いや、知っておくにはいい機会でもあるので、あらためて振り返っておく。
生きた豚を空輸する前代未聞の国家プロジェクト
その年は、台風の当たり年で、伊勢湾台風の前にも大型の台風が上陸している。
それで甚大な被害を受けたのが、山梨県だった。台風7号の直撃に伊勢湾台風(15号)が追い打ちをかけた。同県ではこれを「昭和34年災」と呼んで語り継がれる。
そこに支援の手を差し伸べたのが、米国のアイオワ州だった。同州と山梨県はそれまでに戦後初めての姉妹都市関係を結んでいる。
アイオワ州はコーンベルト地帯と呼ばれる米国中西部の穀倉地帯の中心に位置している。そのコーンを飼料に、豚肉の生産が全米でもっとも盛んな場所だ。
そこで台風被害を受けた山梨県に畜産を復興、普及させようと生きた種豚を贈ることにしたのだ。
しかし、当時は日本と米国を結ぶジェット機の直行便などなかった時代だ。運ぶなら船だ。とはいえ、太平洋を渡る暑さと長期の輸送に、豚が生き存えるはずもない。そこで米空軍から全面協力を得ると、太平洋上の島々で補給を受けながら、同軍のプロペラ輸送機で生きた豚を日本へ輸送することにしたのだ。それでも、生きたまま日本へ辿り着けるか定かではない。前代未聞の国家プロジェクトだった。