2002年、深センで1000万元を積まれても首を縦に振らない家主がいた。その家主は住宅の立地がいいことを理由に3億元を要求した。2002年の頃は、上海などでは100平米のマンションを70万元も出さずに購入することができた。それを思うと、いかに非現実的な要求額だったかがわかる。デベロッパーは交渉を打ち切り、設計変更を急いだ。

 2004年、重慶市で立ち退きを拒否する家主が現れた。その住宅は周りに10メートルほどの深さの堀を作られ、海に浮かんだ孤島のような環境での生活を余儀なくされた。

 2007年に安徽省で立ち退き拒否をした家主は、買い物に出かけた間にブルドーザーで住宅を木っ端みじんに破壊されてしまった。2000年代の中国では、バブル期の日本の地上げ屋のように「黒社会」が暴力的に立ち退きを迫ることも珍しくはなかった。

 中国は、国家権力が絶対という時代が続いたが、2000年代後半から、大都市を中心に私有財産の保護が意識されるようになった。“海珠涌大橋の立ち退き拒否住宅”のケースでは、地元政府が住人のためにわざわざ電線を残し、外との往来ができるように通路まで確保してあげている。

 これを見た中国人の感想は大きく2つに分かれる。1つは「こんなに老朽化した小さい家のために、なぜそこまで国が面倒を見るのか?」という批判的な意見。もう1つは「民主主義的な画期的な取り組みだ」という称賛だ。ちなみに日本の成田空港建設の際に起きた立ち退き騒動は、日本の民主主義の一端を物語る“伝説”として多くの中国人が知るところとなっている。