(花園 祐:中国在住ジャーナリスト)

 17世紀に明が滅んで清が興り、支配体制を確立するに至るまでは、たびたびドラマ化されるなど中国でとても人気のある時代です。3回にわたってその過程をわかりやすく紹介しています。今回はその最終回となります。

 前回(第2回「北京陥落、首つり自殺を遂げた明朝最後の皇帝」https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61240)は、李自成(りじせい、1606~1645年)が率いる反乱軍により明の首都・北京が滅ぼされ、皇帝が自死し、明が亡ぶところまでを取り上げました。今回はここから、清が万里の長城を越えて中国全土を統一し、その支配を完全に確立するに至る「三藩の乱」までを紹介します。(第1回はこちら。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61138

清に帰順した呉三桂

 農民出身の反乱軍首領である李自成は1644年、明の首都であった北京へ入城し、時の皇帝であった崇禎帝(すうていてい、1611~1644年)を自死に追い込み、明王朝を滅ぼしました。

 しかし北の万里の長城付近には、ヌルハチ、ホンタイジの後を継いだ順治帝(じゅんちてい、1638~1661年)が治める満州族国家の「清」が精兵を蓄えて、万里の長城の近くに迫っていました。