中国ではかつて社会主義計画経済の時代、国家幹部は人民の公僕であり、腐敗は資本主義特有の現象であると言われた。事実、当時は市場が発達しておらず、競争もないため、企業にとって賄賂を送るインセンティブはなかった。また、その財力もなかった。賄賂や不正と言えば、人事権を握る幹部に果物などをプレゼントして、自分の子供が国有企業に採用されるよう働きかける程度だった。

 だが、「改革開放」政策によって経済が自由化されると、状況は大きく変化した。資源配分にかかわる権限が幹部に一層集中し、それに対するチェック機能が用意されていないため、腐敗は日増しに深刻化している。

 腐敗は資本主義特有の現象であるということから考えれば、中国の政治体制はもはや社会主義ではなくなったと言えるのかもしれない。

幹部腐敗の深刻化と国民の不満

 巷でよく指摘されることだが、中国では所得格差が拡大し、そのことに対する国民の不満が増幅している。格差の拡大について、単純に良し悪しを決めつけることはできない。否、むしろ一生懸命努力して豊かになることをむしろ奨励すべきであり、それによって格差が拡大してもやむを得ない。不正をして豊かになることこそ、認められるものではない。

 ここ30年間の「改革開放」政策により、経済の自由化が進展するとともに、所得格差も急速に拡大している。所得格差の度合いを表す「ジニ係数」を計算すると、すでに0.49に達しており、警戒水域に突入している(ジニ係数の値は1に近いほど格差の拡大を表し、0.4は社会不安が起きる臨界点と言われている)。

 なぜ所得格差はここまで拡大しているのだろうか。その主な原因は政策の軸足が経済発展に置かれ、公平な所得配分への取り組みが不十分だったことにある。

 30年前、鄧小平はさび付いた巨大マシンのような中国社会と中国経済を動かすために、「平等な社会」という社会主義計画経済の理念を封印した。「豊かになれる者が先に豊かになっていい」という「先富論」を打ち出し、やる気のある者にインセンティブを与えた。

 問題は市場競争に負けた弱者をケアする制度的枠組みが用意されていないことにある。

 30年前の中国社会は、主として都市と農村からなる二元性の社会構造になっていた。しかし30年にわたって経済自由化が進展した結果、中国社会は多層化しつつある。現在、富裕層を形成しているのは、資源配分の権限を握る国家幹部と企業の経営者である。

 それに対して、社会の弱者層を形成するのは、都市部ではレイオフされた労働者であり、農村部では農地を失った農民である。現状において権力の中心に近いほど豊かになる機会が多く、逆に、権力の中心から遠いほど弱者になっていく傾向が強い。

 したがって、格差の拡大は必ずしも各々の社会構成員の勤勉さの違いを反映したものではない。格差拡大の背景に国家幹部と経営者の結託があるからこそ、国民の不満が増幅している。