今回も引き続いてよさこい祭りの話です。前回は、高知市の商工会議所が地域振興のために企画したお祭りが、なぜ全国に広がっていったのかをお話ししました。

 今や、全国100カ所以上で「よさこい祭り」をベースとしたお祭りが開かれています。

 私はその多くの立ち上げに企画段階から関わり、協力してきました。九州では「YOSAKOIさせぼ祭り」(長崎県佐世保市)、「火の国YOSAKOIまつり」(熊本県熊本市)、四国では「えひめYOSAKOI祭り」(愛媛県大洲市)など、西日本で行われるよさこい祭りにはほぼ何らかの形で関わりがあります。今年に入って「よさこいジャパンプロジェクト」を立ち上げ、「よさこい全国ネットワーク組織」の設立を準備しているところです。

「駄目もと」でとにかく始めてみる

 私が関わったよさこい祭りの1つに、静岡県沼津市で行われている「よさこい東海道」があります。立ち上げたのは、沼津市の原田さん。私と原田さんの偶然の出会いがなければ、よさこい東海道は生まれていなかったかもしれません。

 沼津市の商店街が集まって祭りを企画することになり、その運営委員長をしていたのが原田さんでした。原田さんが、全国でどんな踊りの祭りがあるのかを調べたところ、目にとまったのが「YOSAKOIソーラン祭り」。そのルーツを調べると、「高知」で生まれたということが分かり、「よさこいとはどんなものか」「沼津でも祭りの可能性があるのか」を自分の目で確かめるために、高知にやって来たのでした。

 当時、YOSAKOIソーラン祭りが世の中で大きな話題になっていたこともあり、私はあちこちで引っ張りだこの状態でした。私が、「よさこい前日祭」や「舞台踊り」「地方(じがた)車のPAシステム搭載(前回の話を参照ください)」など様々な仕掛けでよさこい祭りを盛り上げてきた「仕掛け人」だったからです。

 高知でよさこい祭りが開かれる時期には、日本各地から視察、研修の人たちが数多くやって来ます。私は毎日、その人たちに「よさこい話」をしていました。

 ただし正直言って、同じ話をいくらしても、実際に行動しない限り「何も理解できないだろう」と思っていたのです。そのため、本当にやる気のある人だけに、真剣に、そして無条件で、私の積み上げたよさこい哲学を提供しようと決めていたのです。

 1997年の夏のことです。石川県七尾市の和倉温泉で翌年に初のよさこい祭りを開催することになり、その実行委員長と関係者が、私に会いに高知まで来ていました。

 高知でのよさこい祭り当日、和倉温泉のメンバーと喫茶店で話をしていたら、偶然にもその喫茶店に、視察に来ていた沼津の原田さんがいました。原田さんは私の存在に気づき、声をかけてきたのです。