3名のサラリーマンが飲み物を注文しました。1人が生ビール、あとの2人はコーラとウーロン茶です。つまみ料理はありません。3人は「お疲れ!」と言って乾杯すると、30分ほど静かに会話をして解散。ぞろぞろと駅の方向に歩いていきました。

 私が「姫路ひろめ市場」で見た、ごくごく一般的な光景です。「これが姫路のスタイルなのか・・・!?」。私は、高知とのあまりの違いに驚き、戸惑いました。

 その違いに気づくのが遅かったことが、姫路ひろめ市場が「失敗」した大きな原因だったのかもしれません。

「乗りかかった船だ」と姫路ひろめ市場の設立に参画

 高知市の商店街で振興組合の理事長をしていた私は、商店街活性化の方策として「ひろめ市場」を企画し、オープンさせました。1998年10月のことでした。

大勢の客でにぎわう高知のひろめ市場

 ひろめ市場は、今や年間に約200万人ものお客さんがやって来る四国有数の人気スポットになりました。地域活性化の成功事例としても全国に知られています(ひろめ市場がどんな所なのかは、JBpressの記事「謎の『市場』は土佐そのものだった」をお読みください)。

 実は、私とひろめ市場の関わりには後日談があります。高知の成功を受けて、兵庫県姫路市の商店街でもひろめ市場をつくろうという話が持ち上がり、私が手伝うことになったのです。実質的には私がプロジェクトの中心人物となって、2003年4月、姫路市中心部のダイエー跡地に「姫路ひろめ市場」が誕生しました。

 私が姫路ひろめ市場に関わるようになった経緯は、以下の通りです。

 高知でひろめ市場がオープンして間もない頃に、姫路から視察団がやって来ました。

 「姫路の中心商店街にあるダイエーが、あと3年で完全撤退します。ダイエー跡地を利用して、地元商店街に役立つ施設ができないものかと検討していた時、ひろめ市場の話を聞きました。コスト的にも、立地的条件も最適の事業プランではないかと考え、視察に来た次第です」とのことでした。