「ユダヤ人国家」イスラエルの第2の都市、テルアビブの夜景

(佐藤 けんいち:著述家・経営コンサルタント、ケン・マネジメント代表)

 ネット時代ならではの問題として、フェイクニュースが世の中を騒がせている。だが、デマや偽情報、プロパガンダや陰謀論の拡散はネット時代以前から行われていた。

 前回(「計り知れない罪、ロシアで生まれた史上最悪の陰謀論」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55703)は、ロシアで誕生し、反ユダヤ主義を世界に広めた偽文書「シオン長老の議定書」を紹介した。この文書は、帝政時代末期に作成され、ロシア革命後のロシア内戦時代に、革命勢力であるボルシェヴィキ(レーニンが率いた左派の一派)に対抗する反革命勢力が拡散させたものだった。ボリシェヴィキの指導者にトロツキーやジノヴィエフなどユダヤ系の革命家がいたことから、反革命側はボリシェヴィキによる革命を世界制覇をたくらむユダヤ人による陰謀とみなしていたのである。

 反ボリシェヴィキが反ユダヤ主義と結びついたのはロシアだけではない。英国でもフランスでも、米国でもまた同様であった。

 米国のウイルソン大統領が、最終的に「シベリア干渉戦争」(1918~1922年)に参加する意思決定を行ったのは、反ボルシェヴィキが背景にあったからだとされている。米国は基本的に反共国家であり、1933年にソ連を承認したのも、当時の先進国の中で最も遅かった。

反ユダヤ主義者だったヘンリー・フォード

ヘンリー・フォード(1919年)(出所:Wikipedia)

 米国でも「シオン長老の議定書」が拡散することになったわけだが、文書から最も影響を受けた著名人として、ヘンリー・フォード(1863~1947年)の名前を挙げておかなくてはならない。言うまでもなく、ヘンリー・フォードは自動車メーカーのフォード社の創業経営者で自動車産業の生みの親である。T型フォード車で量産モデルを確立し、フォード・システムにその名を残している。

 だが、ヘンリー・フォードは一方では反ユダヤ主義者としても有名であった。みずからが社主であった新聞で反ユダヤ主義の連載を行っていた。この連載記事をまとめて、1920年以降 “The International Jew”(『国際ユダヤ人』)というタイトルの4冊本として出版している。この本はシリーズで、米国内でなんと約50万部を売り上げたベストセラーとなった。米国においても、当時は反ユダヤ主義が強かったのである。日本でも『世界のユダヤ人網』というタイトルで、1927年に翻訳出版されている。先にも名前を出した陸軍将校の安江仙弘氏が、ペンネームで訳している。