戦後の一時期、皇居内にごく限られた人たちだけの乗馬クラブがあった(写真はイメージ)

(原口 啓一:乗馬誌「EQUUS(エクウス)」主宰者)

 年号が変わってから30年、その平成もまた間もなく終わろうとしている。ますます昭和が遠くなりつつあるが、古き良き昭和に思いを馳せる懐旧ブームは相変わらずいたるところで散見される。

 その昭和という時代を象徴するさまざまな事象の1つに、戦後の一時期、皇居内に「パレス乗馬倶楽部」という乗馬クラブがあったことをご存じだろうか。

 皇室を含め、限られた人たちだけが会員となり得たこのクラブ、今では覚えている人も少なくなり、その存在が次第に忘れられている。そこでここでは、実際にこのクラブに所属していた人たちの証言を基に、パレス乗馬倶楽部とはどんなクラブだったのか、そしてこのクラブが日本の馬術史の中でどのような役割を果たしたのかを検証してみよう。

日本の中枢を担う人々が集う馬術の殿堂

 手元に一冊の乗馬クラブの名簿がある。今はなき「パレス乗馬倶楽部」の存在を今に伝える証しの名簿だ。

 この名簿は現在、つくばみらい市で柏乗馬クラブを経営する山蔦紘三郎氏によって保存されている。山蔦氏は1960(昭和35)年にパレス乗馬倶楽部に指導者見習いとして勤め始めた。

 同年に発行された名簿には、元華族や政府の中枢を担う人物の名前が散見される。会長は時の首相、吉田茂氏だ。その内訳は「正会員個人46人 家族会員111家族226人 外国籍36人(アメリカ人が21人、そのほかイギリス、オーストラリア、ドイツ、イタリア、オランダ、スイス、イスラエル数人)団体会員6社 会友(ビジター)31人」とある。時期的にすでに進駐軍の解体後で、それ以前の連合国軍の占領下ではさらに外国籍の会員が多かったものと予想される。

 このクラブの創設はおそらく1948(昭和23)年。すると当時20歳だった人は現在91歳になる。つまり、その多くの方が鬼籍に入られている。その存在を直接知る人たちも少なくなり、このまま時を経ていくと、確かに存在したことさえ夢まぼろしのものになってしまうという思いから取材を始めた。

馬術界の精鋭たちが指導する夢の倶楽部

 この乗馬クラブは皇居内にあったことで知られる。現在の東御苑の一角、大手門から入り宮内庁病院を左に見た先に、現在の二の丸庭園を含む大きな広場があり、ここで競技会が行われた。その周囲に厩舎やクラブハウスなどが設けられ、そこから緩やかな坂を下ると覆い馬場と角馬場があったという。石垣の上に広がる本丸跡も自由に使えたようだ。さらに当時としては珍しいナイターの設備もあったという。