皇居内に存在した「パレス乗馬倶楽部」という奇跡 戦後の一時期、ここが“日本の中枢”だった 2019.2.11(月) 原口 啓一 フォロー フォロー中 生活・趣味 シェア26 Tweet この写真の記事へ戻る 戦後の一時期、皇居内にごく限られた人たちだけの乗馬クラブがあった(写真はイメージ) 朝鮮戦争で負傷した国連軍兵士の慰問金拠出と日米の交歓を目的に、パレス乗馬倶楽部で開催された、日米合同馬術大会。現在の二の丸庭園を含む大きな広場があり、ここで競技会が行われた。現天皇陛下の皇太子殿下も観戦されたこの大会には数千人のギャラリーが集まった。後にも先にも日本でもっとも華やかな馬術大会であったことはいうまでもない 拡大画像表示 競技以外でもさまざまなアトラクションが披露された日米合同馬術大会。当時でもあまり披露されることがなかった「二頭並列飛越」の貴重な写真(右)。そして大会の審判席も国際色豊か。左の写真の右から二人目は、日本における西洋馬術の父と呼ばれた“遊佐 幸平”氏 拡大画像表示 右は、自らも馬術愛好家であった劇作家の木下順次から、その著著で「馬術の天下の名人」と称された“小松崎新吉郎”氏。左は、パレス乗馬倶楽部の馬の中で4名馬と賞賛された馬たちがおり、その中で名馬中の名馬といわれたのが“山吹号”。その山吹号で鮮やかな飛越を見せる彫刻家の西村修一氏。当時は慶応大学の学生であった 拡大画像表示