成田山新勝寺の火渡り修行に参加する人たち(筆者撮影、以下同)

 やらなければならないと分かっているのだが、思い切って一歩踏み出せない。そういう人は少なくないはずだ。だからこそ、「最初の一歩」を踏みだすことをテーマにした自己啓発書は、昔から根強い人気があるのだろう。もちろん、本を読んだからといって、すぐに行動に移せるとは限らないのであるが・・。

 かくいう私もそうだ。いくつになっても、最初の一歩を踏み出すのは、正直なところ容易なことではない。なぜなら、最初の一歩を踏み出す対象は、自分にとっては常に「初体験」であるからだ。逆にいえば、初体験だからこそ、最初の一歩となるわけである。2回目以降はもはや初体験とはいえない。

 仕事に限らず、それ以外の世界であっても、「初体験」というものは、想像していた内容と実際の体験とのあいだにギャップがあるものだ。終わってしまえば、「なあんだ、そんなことだったか」と思ってしまうような内容であっても、体験するまえは期待と不安が交錯するものだ。やってみたい、やらなくてはならない、だが本当のことを言うと、できればやりたくない。こういった心理的なゆらぎは、初体験ならではのものだ。

「ベジタリアン」から始まった「食」に関する一連のコラム記事だが、前々回で「断食修行」について取り上げ、前回では「山伏体験修行」について取り上げているうちに、「食」というよりも「修行」がテーマの中心に移行してしまったようだ。

(前々回)「苦しいのは最初だけ、3泊4日の『断食修行』体験記」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54425
(前回)「山伏になって『死からの再生』を体験してみよう」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54560

 なにごとであれ、動き出したものごとには勢いというものが働く。そうであるなら、今回も前回につづけて「修行」関連の話題でいってみたいと思う。

 今回は、冒頭でも触れた「最初の一歩」についての修行についてだ。

 それは「火渡り修行」のことである。すでに火は消されて熾火(おきび)になっているとはいえ、焼けた熱い炭の上を裸足で(!)歩く修行のことだ。前回のコラムで触れた「火渡り修行」は、炎の上を飛び越えるものだったので、内容的にはやや異なる。

 テレビニュースで取り上げられているのを見た人も少なくないだろう。私もまたそうだったが、実際の火渡りをリアルで見たことがなかった。もちろん、火渡りもまた体験したことはなかった。「火渡り」は、「最初の一歩を踏み出す」には、とっておきの修行かもしれない。

 修行場所は、「断食修行」を行ったのと同じ成田山新勝寺(千葉県成田市)である。成田山では、年に3回、山伏姿の成田修法師(しゅうほうし)による「火渡り修行」が行われる。そのうち、5月と9月に行われる修行には、一般人も参加することが許されている。参加費用は無料(!)である。

 以下の文章は、参加後にブログに書いた体験記(2014年に執筆)をもとに再編集したものだ。今回のコラムが、なんらかの形でみなさんの参考になれば幸いである。

 さあ、足裏が熱いのを我慢して「最初の一歩」を踏み出そうではないか!