文部科学省の起業家育成プロジェクト「EDGE NEXT」に参加して、シリコンバレーに来ています。
ベンチャーキャピタルをはじめ、様々な人といろいろな議論をしていますが、つくづく日本のというか、自分の商才のなさを感じています。
今回から数回は、インターネットメディアの未来を読み、そこで顧客の真のニーズに合致して成功した人々の仕事を、それができないまま同じ時代を空費した私たち東京大学での取り組みとを並列して示し、何が重要かを考えてみたいと思います。初回はイントロとなります。
ゲノミクスとインターネット
クレイグ・ヴェンターの反逆と成功
以下はご存知の方にはよく知られた逸話ですが、少し違った角度からスケッチしてみます。
1995年、カリフォルニア州パロアルト在のスタンフォード大学でコンピュータ―科学教授を務めていたテリー・ウィノグラードは、東部のミシガン大学出身の大学院生を1人採用することにしました。
ウィノグラードは「自然言語」を用いた人工知能研究で知られ、人間とコンピュータ―の関係を深く広範に考えるシステムで知られたサイエンティストです。
1995年と言えば、言わずと知れた「インターネット元年」と言うべき時期、つまり1990年前後に冷戦が終結し、大陸間弾道ミサイル防衛を念頭に張り巡らされた「ARPA NET」が民生に開放され「インターネット」が準備されつつありました。
同時に、東西冷戦という戦略シナリオを失った唯一超大国米国が、地球環境とか生命といった人類普遍の攻略目標を新たなターゲットに見出し、ヒトゲノム計画(1990-)などが鋭意推進されていた時期に当たります。
翌1991年、米国立衛生研究所のとある研究員が、ヒトの脳に含まれる“mRNA”の断片を集めて研究資源とするべく特許を申請し、多くの同僚から非難を浴びました。