ただ最近、“ビッグデータ”という言葉が使われすぎて、ビッグデータさえあれば大丈夫という世の中の雰囲気をやや感じます。臨床開発の現場においてビッグデータを使うためには、基礎科学の分子生物学やゲノム情報に加えて、病態生理学的な知見がないと、有効なデータは集められないし、解析もできません。

 僕らの研究室では症例数の少ない難病を研究しているのですが、当初はここから一般的な臨床開発への展開は難しいと思っていました。しかしそれは間違いで、「いかにして患者さんへ新しい薬を提供できるか」を難病というスモールサンプルを通して追求していく中で、データに含まれる意味合いを理解できるようになり、仮説検証を繰り返してスモールデータからビッグデータの大きなポピュレーションに広げていく視点や分析のノウハウがつかめてきました。このノウハウは、一般的な薬を開発する場合にも活用できると思っています。

品川 丈太郎 氏
QuintilesIMS クインタイルズ・トランスナショナル・ジャパン株式会社
臨床開発事業本部長

品川 ヘルスケア分野においては「ビッグデータ」の定義は明確でないかもしれませんね。ただ、おっしゃるとおりRWDをはじめとするデータの有効な利活用によって、臨床試験の効率性は非常に高められるはずです。私自身もGCP(Good Clinical Practice : 国際標準の臨床試験の実施基準)で治験を20年やってきて、臨床現場でもRWDやスモールデータをずっと見てきました。そこから臨床試験にどうフィードバックができるか、GCPトライアルとRWDでどうしたらお互いに相乗効果を生み出せるのかということを常に考えています。例えば肺がんの場合、遺伝子の変異をEGFR(癌細胞増殖に関するタンパク質)だ、ROS1(肺癌の原因とされる異常遺伝子)だ、c-MET(腫瘍の増殖・転移に関与する酵素)だと掘り下げて特定していくことで、患者さんを見つけるために膨大なスクリーニングが必要となり、患者さん一万人をスクリーニングして、結果、臨床試験に参加できるのは数名というようなオペレーションをやったりするんですね。

 一方で、あらかじめRWDを用意しておけば、そうしたプロセスも一気にスムーズになると思います。そこで仮説をもって一部の患者さんに確実に効く薬剤を見つけるべく、ビッグデータと臨床試験の間を行き来することが大事になってくると思います。

竹内 最近AI(Artificial Intelligence)の技術と共にビッグデータ解析が急伸しており、統計学者が今までと同じような解析をただやっているだけでは、AIに置き換えられてしまうかもしれません。そうではなく、「この薬は全体的にはダメだったが、でも効いている患者さんはいる。だったらどのような患者さんにどうやってこの薬を提供できるようにするのか」まで解析を掘り進めてみて初めて、僕らのようなHuman Intelligenceとしての「考える力」が求められるはずですし、ビッグデータも臨床開発に活かせるのではないかと思います。

海外事例にみる臨床開発のさらなる挑戦

品川 竹内先生はスタンフォード大学医学部やハーバード公衆衛生学大学院とも交流を持たれていて海外の研究者との交流や研究にも通じていらっしゃいますが、海外の先端事例はどのようなものがあるのでしょうか。

竹内 例えば、スタンフォードには医学部のドナーとして退役軍人病院があって、そこには100万人のビッグデータがあり、アップル出身の医学部教授なども参画して解析をしています。スタンフォードに僕が出向いた時、外科医と内科医から同時にデータ解析の見立てを求められました。意見が異なると、差異についての解析が即座になされて、医療スタッフがチーム相互でデータの見立てを行い、データの曖昧さを精緻化していくわけです。そうした中で「対象群は要らない、ワンアーム(非比較試験)で行こう」という意見も出てきたりします。

 また、神奈川県とスタンフォードで共催した「ビッグデータと基礎科学の応用」というテーマのシンポジウムでは、スタンフォードの先生が循環器のがんの治験において、iPS細胞を使った患者さんのスクリーニングをしているお話をされました。全ての患者さんに対し、インクルージョン(被験者の対象基準)、エクスクルージョン(被験者の対象外基準)の両方を解析し、iPSのターゲットを絞り込んでいった結果、米国食品医薬品局(FDA)から数百例必要と言われていた治験が数十例に絞られたそうです。そうなると、被験者のリクルートや治験期間、コストが現実的になり、その分患者さんの薬へのアクセスも高まるわけですね。

品川 活用データの多様化と拡大とともに法的倫理的な環境整備も大事だと思います。ゲノムスクリーニングは今、魔法のツールのように思われていますが、これは行きつくところでは、出生時に全員スクリーニングしてしまおうという議論が出てくることもあり得るでしょう。そして出産前診断によって先天異常のリスクの高さがわかることにより、そのこととどう向き合うのか。そこで必ず必要となる法的、倫理的な部分での議論がほとんどなされていないというのも事実です。この点は必ず熟考しなければならないところですし、我々を含む臨床医の役割だとも思っています。

これからの臨床開発に求められる課題 
患者さん主体の評価

品川 翻って日本ではNDBの構築と活用が始まったばかりです。例えば、LC-SCRUM-Japanという、肺がん患者の遺伝子情報をライブラリー化しようという取り組みも、先端医療開発センターや製薬企業の協力のもとで始まっています。そこで、日本のこれからの臨床開発のあり方や課題についてお考えをお聞かせいただけますか。