少子高齢化や医療ICTの進歩など、医療をとりまく環境が大きく変化する中で、厚生労働省では2035年を見据えた「保健医療2035」のビジョンが定められ、その構想の実現に向けた様々施策の策定が進められている。その策定メンバーであり、RWD(リアルワールド・データ)の領域では専門医制度と連携した臨床データベースであるNCD(National Clinical Database)の管理・運営をサポートしている宮田 裕章(みやた ひろあき)氏を招き、超高齢国家のピークとなる2025年の先の、健康先進国へのパラダイムシフトに向けた取り組みなどについてお話をうかがった。モデレータを務めたのは、アイ・エム・エス・ジャパン株式会社(以下、IMS)でRWDを活用したコンサルティングサービスを統括する、シニアプリンシパルの松井 信智氏である。
RWD, ICTを軸に再設計される社会システムのビジョン 「保健医療2035」
松井 早速ですが、日本の医療の現状と課題をふまえた上で、RWDやICTが今後どのように活かされていくのか、お聞かせいただきたいと思います。
松井 信智氏
アイ・エム・エス・ジャパン株式会社
シニアプリンシパル
宮田 日本は、少子高齢化に加えて、経済成長の鈍化、人口減少という非常に大きな課題を抱えています。現時点で先進国の中でこれらが全てネガティブなのは日本だけだと言われています。つまり、これまでは他国が課題解決をした後を追えばよかったのですが、今は、我々自身がこの課題解決をしていかないと社会の先はないというような状況です。
一方で、医療福祉の分野は短期的には大きな経済成長のチャンスがあり、2025年まで医療需要は確実に伸び、日本の公的あるいは私的なお金の多くがそこに使われていくでしょう。
ただ、この需要のピークと言われる2025年だけを見て、社会システムをデザインしてしまうと、その後の2035年、2045年には、将来世代が社会保障に押しつぶされてしまうかもしれません。そこで将来世代を見通し、短期・中長期的にそれぞれ何をすべきか考えようという政策のビジョンが、私も携わっている「保健医療2035」です。
この中でも、ICTが重要なキーワードになっています。今はIoTや、AIというところが流行り言葉になっていますが、数十年前からインターネット、情報革命、ビッグデータなどと言葉を変えながらイノベーションの大きな潮流をつくってきました。日本の医療もICTによって特にこの数年、大きく変わっていこうとしています。この点を踏まえて、社会システムをどう再設計するかが大きな課題になります。その中で特に重要になってくるのがRWDであり、情報コミュニケーションを通じて現実世界のすべてを捉え、そのデータを研究だけでなく実臨床に活かしていくことが、今後ますます求められてくるのかと思います。
NCD 実臨床のコミュニケーションを体系化したデータベース
松井 現実世界を捉え、実臨床に生かしていくためのRWDとして、宮田先生が今フォーカスされているNCDの取り組みについてお話しいただけますでしょうか。
宮田 裕章氏
慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室 教授
宮田 世界にはいろいろなRWDのデータベースがあり、日本においては行政が主体となり構築するNDBやDPC(Diagnosis Procedure Combination: 急性期入院医療の 診断群分類に基づく包括医療費支払い制度方式)のデータベースなどがあります。それらに対して、RWDの一種であるNCD(一般社団法人National Clinical Databaseが参加施設診療科から収集している、専門医制度と連携した詳細な臨床情報を含むデータベース)の大きな特徴は、現場のプロフェッショナルが主導し、臨床現場と連携しながら、よりよい実践をつくっていくためのデータベースであるということです。
例えば合併症の情報一つとっても、カルテに記載されていなかったり、記載されていたとしてもそれが国際的な定義で捉えたかどうかが病院によって違ってきます。あるいは臨床現場によってはそもそも該当する合併症を把握する習慣がないかもしれません。
ですから、単純にカルテだけを集めてきても、その病院が合併症を診ていないのか、あるいは本当に起こっていないのかがわからない。そうなると、個々の現場で「この治療を行うのであれば、このような合併症の有無を必ず把握し、治療前にはこのようなリスクを考慮して処置を行って下さい」というようなコミュニケーションが必要になってきます。そうした現場の方々とのコミュニケーションの中で、必要な情報を体系的に収集するというのが、このNCDの特徴になります。
さらに今では、ICTを活用することによって単に情報を入力するだけでなく、フィードバックを即時に得られるようになりました。その一つが、リスク分析です。現在消化器外科や心臓外科の分野では、患者さんの治療時の情報を入れると、個々の状態に基づいて予測される合併症発生率、死亡率が算出されます。これらの情報に基づいてインフォームドコンセントやカンファレンスを行っていただき、より良い治療に向けた検討を行うことが可能となっています。
RWDの活用で、医療資源の最適配置と共に地域力向上へ
松井 先生は地域医療というところでも一部地域に関わられていらっしゃいますが、地域医療におけるRWDの重要性や取り組みの事例があれば、お聞かせ願えますでしょうか。
宮田 地域の医療の在り方を考えるうえでも、RWDは必須になってくると思います。例えば、NCDのデータを集めると、救急搬送・緊急手術の都道府県ごとのリスクを調整した治療成績がわかります。救急搬送で緊急手術が行われた場合には、患者側には施設選択の余地はなく、どの都道府県で倒れたかによって生死が分かれます。当然、都道府県ごとに治療成績の格差はあり、このような救急医療における地域の実力はある種の準公共財であるといえます。この課題にどの様に取り組み、地域の力を高めていくかにおいては、RWDの活用が、カギになります。
例えば、病院の手術ごとの年間症例数と治療成績は関係あるのかという点については、数十年前から様々な議論が行われてきました。NCDをはじめとするRWDで実態を分析すると、多くの手術において安定した治療成績を実現する上で、一定の手術数を経験することが必要であることが確認されており、医療資源を配置する際の根拠になります。
自分の住まいの近くに、どの様な治療でもできる病院があり、最高のエキスパートに支えてほしいというのは、地域住民としての理想です。しかし、需要がないのにもかかわらず、高度医療を行う機能を設置してしまうと、良好な治療成績を維持するために必要な経験を積めない医師がそこに留まることになります。その結果、せっかくそこに病院があっても、治療成績の良い病院に比べて死亡率が何倍にも高まることも起こってしまうわけです。これからは単に病院があるということだけでなく、「地域全体の中でいかに良い医療を実現するか」という視点の下、RWDに基づきながらあるべき姿を地域ごとに考えていかなければなりません。
そうした地域医療の事例の中で、広島県では行政や地域の医師会、大学などが連携を取り、全国に先駆けて医療機能の連携と再構成に取り組んできました。例えばがんであれば、診断・治療に関しては一定の技量がある病院に絞って機能を集約し、一方で、検査・検診、術後のフォローアップについては身近な環境で広くやっていくというように、機能ごとに病院の役割を構成し地域のネットワーク作りを進めています。このような努力の積み重ねにより、広島県はがんの生存率や生存の改善率において、日本でもトップクラスの地域になっています。
ただ一方で、RWDはアクセス可能な条件下にあったとしても、明確なビジョンや分析の感覚を持っていないと有効な利活用を行うことは困難です。今後は、コンセプトの設計や統計分析を行うことが可能な人材育成を行い、地域の中で活用していく枠組みを設計することが重要になってくると思います。
RWDを組織から個人へ。ライフスタイルにあわせた主体的な健康づくりの社会
松井 医療をとりまく新しい仕組み・環境をつくっていく上で今後のビジョンがあれば、お話しいただけますでしょうか。また、そこで重要となる解決策のポイントや課題は何でしょうか。
宮田 「企業や組織が囲い込むデータ」から「患者さん・国民の価値に寄せていくデータ」へシフトしていくことが重要です。プロフェッショナルが主体となり、より良い医療を実現するために、価値のあるデータをつくり、継続的な改善を行うという点は不変です。一方で今後は患者さん、あるいは病気になる前の一人の国民として、自分自身のデータを活用することができる形で共有していくことも、重要になっていきます。個人を中心としたオープンな基盤でデータを活用し、人々の健康とより良いくらしを実現する(Person-centered Open platform for wellbeing)という構想の下で、これからは日常生活のあらゆるデータが活用できるようになっていきます。
それによってどういう変化が生まれるかというと、例えば要介護認定においては、IoTやセンサリングを使うことによって、「どのような支援を行っているか」ではなくて「その人が何をできるのか」という軸でサポートを行うことが可能になります。これまで日本の要介護認定は、介護支援の必要度(どれくらい、介護支援を行う必要があるか)で認定をつけてきました。このような性質上、現場からは、「リハビリを頑張ったことで、介護支援の必要性が減り、給付が少なくなると頑張りがいがなく、難しい。」という声も聞かれました。ここに、個人を軸にIoTやセンサリングの技術を活用し、日常生活の一部のデータを活用することで、要介護認定の評価コストを下げられるだけでなく、リハビリを頑張った人たちをインセンティブによりサポートしてモチベーションを高める仕組みをつくることも可能になります。
一方で疾病管理についても大きな変化が起こりつつあります。糖尿病のマネジメントシステムについては既に、AIを活用した臨床アルゴリズムの開発が盛んに行われています。これからはRWDを活用して、糖尿病の治療時の情報あるいは、糖尿病予備群の人々のサポート時の情報を入力すると、どのようなサポートや治療が目の前の個人に対して最善なのか、ということを提示することが可能となるでしょう。これにより、一人の医師の判断をオールジャパンの専門家とデータ分析の連携によって支える時代が到来することになります。
このようなRWDを個人を軸に活用することによって、どうやったら糖尿病にならなくなるか、というマネジメントにも変革をもらたします。人々が同じように食生活を改善し、同じように運動するのではなく、個人のライフスタイルや特徴に基づいて、その時々に最善なサポートを受け、行動を選んでいくことができます。そのときに、単に病気にならないという価値観ではなく、「私らしく生き生きした魅力的な暮らしを追求すると自然に健康になっている」「自分が主体的に健康な選択をすることによって社会を支えていこう」というような、wellbeingを取り巻く価値観そのものがこれからは変わっていくでしょう。そのためのプラットフォームづくりには、多くの民間企業にも加わっていただき、産官学で連携して進めていくことが重要になってくると思います。今後は、御社をはじめとする産業界との、ソリューション創出に向けた連携にも期待したいと思います。
右側:宮田 裕章氏
松井 ぜひ我々もそのようなプラットフォームの構築と活用について一緒に検討させていただければ幸いです。
ICT/IoTの進展によって患者の日常生活情報の収集が進み、既存RWDとの統合解析結果が患者個人および医療者にフィードバックできるという環境の実現が、NCDのリスク分析実例やプラットフォーム構想をお聞きすることで確信できました。また、医薬品/医療機器メーカーの臨床試験や市販後調査にRWDを活用することで、既存プロセスが効率化され、新薬開発への資源集中が可能となるという大きなインパクトについても我々は注目しています。
未曾有の超高齢化社会における医療ソリューションを日本から発信できるよう、我々IMSも長年のRWD解析ノウハウを活用して支援していきたいと思っています。本日は貴重なお話をありがとうございました。
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