前回のコラムを入稿してからまる1週間以上間が開いてしまいました。この間、週末は秩父でのフィールドワークなど、本稿とも関係のある予定が詰まっていました。
お詫びとともに一部をちらっとご紹介しますと・・・、
3月12日の夕刻には秩父市下久那地区に長年伝わる「じゃらんぽん祭り」というすばらしいお祭り・・・「葬式祭り」を拝見してきました。
生きた人間が頭に三角の布をつけて棺おけに入り、偽坊主役の地域の人が即興で出鱈目のお経を読み、死人役の主役は一升瓶で大酒呑み。
「葬儀」が終わると近くの諏訪神社まで、死人役も歩いて棺おけを運び、そこで神社に遺骸を奉納、棺おけのふたが閉まります。それを改めて開けると死から再生、めでたく春の祭りという大きな枠組み。
「祭儀」というものの本質だけを抉り出したような手作りのすばらしい祭礼、じゃらんぽんというのは「生き葬式」に際して鳴らされる鐘や仏具のシンバル、太鼓の音から名づけられたものと思われます。
YouTubeに動画が上がっていたのでリンクしておきます。2011年3月、東日本大震災直後の「じゃらんぽん」での黙祷の光景には、等身大の祈りとして深く心打たれました。
こうした祭礼のフィールドワークは数年準備してから最初の稿を公にするのが常ですので、今年初めて伺った「じゃらんぽん祭り」の話題は2018年以降の書籍で展開したい考えです。
「一粒の麦も死なずば・・・」という言葉があります。農産物、例えば稲は春に芽を出し夏に伸び、秋に収穫されたのちいったん冬にはすべてが枯死します。
しかしその死の中から新しい生命が再生する、そういう原点に触れるような、暖かい空気に包まれた、本当にすばらしい「じゃらんぼん祭り」「春祭り」という祭礼がいかにして存在するかを、改めて教えていただく思いでした。
かくのごとく、原点に帰って考えねばならない、と痛切に感じたのが、今回の主題である「教育勅語」にほかなりません。