ドナルド・トランプ氏の米大統領選勝利は、ピープルによるエスタブリッシュメントに対する反乱という「革命」の側面と、グローバリズムに対するナショナリズムの反撃という側面がある。
この両側面は、英国のEU離脱決定、イタリアでの「五つ星」運動の躍進などにも共通してみられる、世界的な潮流と言えよう。
中でも今回の米大統領選挙の結果は、世界と日本の将来にとり、最も深刻な影響を及ぼす。
トランプ氏の勝利の背景には何があったのか、トランプ候補は何を訴え新政権はどのような政策を採ろうとしているのかを、主に国内政策について、選挙期間中のトランプ氏の発言などから分析する。
1 背景となった深刻な米国内経済情勢
大方の予想に反してトランプ氏が勝利した背景には、米国内各州の深刻な経済、とりわけ雇用喪失がある。
2016年6月、メーン州での演説で、トランプ氏は、以下のように米国内の雇用喪失の深刻さを訴え、米国の労働者の利益のために自由貿易協定を見直すことを訴えている。
米国はここ20年間で、5000万人人口が増加したにもかかわらず、製造業の雇用は3分の2に減少した。家計所得は2000年から4000ドル減少し、失業率は1970年以来最も高くなっている。
「クリントンはワシントンのエリートのために闘っているが、私は、米国の労働者の利益のために、より公正でバランスのとれた貿易取引を創り出す」
9月にロスアンゼルスでは、以下のように演説し、バラク・オバマ政権の自由貿易政策とリーダーの無能を厳しく批判している。
「米国は、日本、中国、メキシコに対し毎年大規模な貿易赤字を出している。米国に対し、中国は毎年1000億ドルの貿易赤字を出し、日本は毎年数千台の車を輸出し、メキシコからは不法移民が流入している。中国人も数百万人が流入している」
「日本、中国、メキシコの指導者たちは賢明だ。彼らには豊富な交渉力もある。我々にも、交渉のできる有能な賢いリーダーが必要だ。善良だが米国のために何もできないリーダーはもういらない」
「アラバマ州では3万1000人、(テキサス州)ダラスでは2万人が集会に参加した。サイレント・マジョリティは私を信じている。彼ら『ピープル』はもう黙ってはいない。政治家に怒り、国のあり方について論じている」
また9月30日付の『ザ・ヒル』誌は、以下のように、オバマ政権下での一般国民の窮状を訴え既存の民主・共和両党の経済政策を批判し、既存政治にとらわれない実業家トランプ大統領候補の雇用創出政策、財政再建への期待を報じている。
「オバマ大統領が去る頃には、米国の連邦財政赤字は20兆ドルになり、6割以上の米国民の貯蓄は1000ドル以下になるだう。ヒラリー・クリントンと左派の官僚たちは、政府の介入を増やし、自由市場への規制を強化すればするほど、問題解決になると信じていた」
「他方、大半の右派は、単に減税し、補助金をバラまいて、わずかの雇用を生み出せばよいと信じていた。どちらも間違っている。幸い今、実業家出身の大統領候補トランプ氏がいる」
「雇用の創出とは、それぞれの地区議会で工場を閉鎖させないように訴え、税制の環境を維持強化することだ。また、破滅的な貿易協定を再交渉することである」
「トランプ氏の税制計画は、製造業の対外競争力を高め、雇用の海外流出を止め、事業を継続するものだ。また、大幅な減税と米国内での雇用に寄与した企業に対する報奨金により、米国を世界中から雇用を招き寄せる国にするものだ。我々は二度と奪われる立場に立ってはならない」
「赤字急増を生む宣戦布告なき戦争を続けてでも産油国を守るべきだという共和党エスタブリッシュメントの主張に反対する。戦争は最後の手段であり、豊かな国には公平な資金分担を求めるべきであり、米国の納税者を彼らの踏み石にさせるべきではない」
本選挙直前の2016年11月7日にトランプ陣営は次のように、米国内の雇用を喪失させ国内の製造業、畜産業などの主要産業の流出、崩壊をもたらしたとして、NAFTA(北米自由貿易協定)、中国のWTO(世界貿易機関)加盟、米韓自由貿易協定、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)など、既存の貿易協定への反対姿勢を、具体的にデータを上げて明確にしている。
「TPPにより米国の自動車産業は一掃されるだろう。NAFTAにより、ミシガン、オハイオ、ペンシルベニア各州の自動車産業はメキシコに行ってしまった」
「ミシガン州では、クリントンとオバマの政策により、米国の雇用と工場は他国に流出した。ミシガン州では、NAFTAと中国との貿易協定により、全雇用の4分の1以上、21万人分の雇用が失われた。2014年に再雇用された人の5人に3人は給料が減り、3人に1人は給料が2割以上減り、NAFTA締結以来ミシガン州では15万7000人分の雇用が失われた」
「農民も甚大な被害を受けた。ミシガン州の主要畜産品であった牛の、メキシコとカナダへの輸出はNAFTA締結後21年間に46%減少した」
「韓国との自由貿易協定締結以来、ミシガン州が韓国に輸出していた、自動車、機械類など上位10品目の貿易赤字は54%も増加した」
「ヒラリー・クリントンが進めているTPPにより、より多くのミシガン州の雇用が失われ、自動車産業と部品製造工場が中国や東南アジアに行ってしまうだろう」
「オハイオ州では、NAFTA締結と中国のWTO加盟以来、30万7000人分、3分の1の雇用が失われた。オハイオ州でも2014年に再雇用された労働者の5人に3人は給料が減り、3人に1人は20%以上給料が減った」
「NAFTA締結以来オハイオ州では14万5000人分の雇用が失われた。オハイオ州からメキシコ、カナダへの主要輸出品であった牛と豚の輸出は、NAFTA締結以来、それぞれ46%、76%減少した。韓国との自由貿易協定により、ヒラリー・クリントンは7万人分の雇用が創出されると言ったが、締結後の4年間で上位10品目の対韓輸出は58%も減少した」
「ペンシルベニア州では、NAFTAと中国のWTO加盟により、製造業の雇用は30万8000人分、3分の1が失われた。メキシコとカナダへの牛の輸出は46%減少し、対韓貿易では、米韓自由貿易協定締結後、赤字額が54%増加した」
「同様に、ノースカロライナ州では、製造業の雇用は34万8600万人分、43%減少した。特に繊維産業は壊滅し、ハイテク産業も打撃を受けた。この18年間で、ノースカロライナ州の最大の輸出産業であったコンピューターと電子部品は、390億ドルの赤字に転落した」
「この新産業での赤字と、NAFTAによる自動車産業、製造業の赤字とあいまって、ノースカロライナ州の貿易は赤字になった。牛のメキシコ、カナダへの輸出額は、NAFTAの22年間で59%減少した」
「米韓自由貿易について、クリントン長官は7万人分の雇用を生み、輸出を増加させると言っていたが、協定締結以来4年間で対韓貿易赤字は64%増加した」
「ニューハンプシャー州では、製造業の雇用は23万人分、3分の1が失われた。牛のメキシコ、カナダへの輸出額は、NAFTAの22年間で59%減少した」
「クリントン長官は、『新たな改善された米韓貿易協定』により、より多くの雇用が生み出され輸出は増加すると言っていたが、実際には対韓貿易赤字は154億ドル、99%増加した」
「このことは、10万2500人分の米国人の雇用が失われたことに相当する。米韓自由貿易協定締結以来、対韓貿易赤字は23%増加した。特に主要農畜産品であるリンゴとミルクの輸出は、それぞれ4年間で8%と88%減少した」
「TPPによりニューハンプシャー州は、雇用を喪失し、高価な訴訟沙汰に晒されることになるだろう。TPPは、外国企業に同州や米国に対する訴訟における秘密国際法廷での特別な権利を保障している。そのため、外国企業は米国の納税者から際限なく賠償金を得ることができる」
上に挙げられているミシガン、オハイオ、ペンシルベニア、ノースカロライナ、ニューハンプシャーの諸州はいずれも、スウィング・ステイトと呼ばれる、民主党か共和党かいずれか票が割れる州であり、大統領選挙本選挙の帰趨を決する諸州でもある。
中でも、ミシガン、オハイオ、ペンシルベニアなどの各州は、かつては米国の中核的産業地帯であった。しかし、20世紀の中頃から、産業の西部への移転、産業構造の変化、国際化など、種々の要因により衰退してきた。
そのため、「ラストベルト(錆びついた地帯)」と呼ばれている。これらラストベルトの3州の衰退に、近年さらに拍車がかかっている。
これらの3州では、スウィング州の中でも、これまでは、自動車労組組合員などを中心とする民主党支持者が比較的優勢を占めていた。
しかし、ビル・クリントン大統領時代以来民主党政権が積極的に進めてきたNAFTAその他の自由貿易協定の結果、これらの州は、自動車産業の衰退、関連企業の海外移転、雇用の喪失、賃金の伸び悩みなど、深刻な経済危機にさらされてきた。他のノースカロライナ、ニューハンプシャー州も同様の状況にある。
上記の5州のもう1つの主要産業である農畜産業も同様であり、大幅な貿易赤字と減産、雇用喪失を強いられている。これら5諸州は、このようにNAFTA、中国のWTO加盟、米韓自由貿易協定などで最も深刻な打撃を受けてきた諸州でもある。
上記のトランプ陣営の本選挙直前の文書では、これらの自由貿易協定を推進したオバマ政権、ヒラリー・クリントン国務長官の責任を厳しく糺している。本選挙では、ニューハンプシャー州を除き、すべてトランプ候補が制し、大統領選勝利を決定づけた。
その背景には、上記の、自由貿易体制のもとで米国内の産業の空洞化と雇用の喪失が一般の労働者や農民に深刻な打撃を与え、既存の政治家、エスタブリッシュメントに対する憤懣として鬱積していたという事情がある。
トランプ候補は、「ピープル」の憤懣の声を聴き取り、そのエネルギーを「アメリカ・ファースト」のスローガンのもと、結集することに成功した。同時に彼は、既存の政治に染まらない、しかも実業家としての実績を持つ有能なリーダーという、自らのイメージ創りにも成功している。それらが彼を勝利に導いたと言える。
言い替えれば、トランプ氏がくみ上げることに成功した、国内経済問題に対する一般の労働者や農民の憤懣、特に雇用問題が、大統領選挙の勝敗を決する決定的要因となったと言えよう。