フランス・パリのエトワール凱旋門。幕末の1862年に福沢諭吉はパリを訪れた

 今、日本はあらゆる意味で、何度目かの「開国」を迎えているのではなかろうか。

 再来年の2018年は明治維新から150年、米英仏ロ蘭の5カ国に開国を約束した「安政の5カ国条約」を締結してから160年になる。日本政府は「明治維新150年」を盛大に祝うための行事をいくつか準備中だ。

 当時と今を比較すると、変わった事象も多いが、基本的に変わらないことも多い。

重大かつ困難な任務を帯びた使節団

 そんなことをつらつら考えたのは、11月末に『パリの福澤諭吉 - 謎の肖像写真をたずねて』(中央公論新社)を上梓したからだ。

「福澤諭吉がパリにいたことがあるんですか」と、彼が創立した慶應義塾大学の教授が驚いていた。「1万円札」の顔でおなじみの諭吉が、実は1862年に丁髷(ちょんまげ)に袴姿でパリをはじめ欧州を闊歩したことは案外知られていない。

 勝海舟らと共に「咸臨丸」で渡米したことはよく知られている。渡米の目的は、米国と交わした条約の批准書交換という儀礼なものだった。それに対し、パリなど欧州を歴訪したのは、条約の改正交渉という重大かつ困難な任務であり、西洋文明との激突という側面もあった。