また福島沖で地震があり、津波警報が出されたとの報がありました。被害が最小であることを祈りつつ、地球の反対側、海のないベルリンで本稿を記しながら「地誌」の違いを強く感じます。
日本は地震大国と言われます。地球表面上、複数のプレートが出合う場所にあるため、確かに地震が起きる可能性は非常に高い。
しかし、ここで「地震」と「震災」とを分けておくのが、重要であると思うのです。震災つまり地震に起因する災害は、必ずしも天災ばかりでない。
例えば、先日博多のど真ん中に開いた砂地の穴を地震が直撃していたら・・・と記しました。
いま仮に、砂をお弁当箱にしっかりパックして、激しく揺れる台の上に乗せるとしましょう。
パックがしっかりしていれば、砂は外にもれずにすむ可能性が高い。
逆に、単に盛り上げただけの砂の山を激しく揺れる台に乗せたら・・・結果は言うまでもないでしょう。
日本列島というのは元来「激しく揺れやすい台」のようなものです。その上に構造物を建てるなら、堅固なものにすればよさそうなものなのに、実際には、日本の都市は、軟弱な地盤の上を選ぶようにして作られているんですね、なぜか。
これは人為的にそうしているのであって、理由がはっきり存在します。
日本という国と、そこで人々が生きながらえ、またそこに2000年来敷かれてきた支配体制という人的要素が明確に起因して、もとより発生しやすい地震が起きた時、それをわざわざ大震災に拡大するような構造を作り出している。
このところ、国大協「大学改革シンポジウム」などで「文理横断」の重要性を強調していますので、地震という自然現象の理科を、震災という社会現象の人文社会科学的検討と併せて、以下で考えてみたいと思います。
(参考・関連記事)「博多の陥没が警鐘を鳴らす都市の脆弱性」
銅鐸と和同開珎・・・疑いながら歴史を学べ!
話が飛ぶようですが、皆さんは古代の歴史を学ぶとき「銅鐸」「銅矛」「銅剣」といった青銅器の写真を見せられたと思います。これらは紀元前2世紀~紀元2世紀、つまりBC100年代からAD100年代という「弥生時代」の遺物で、古墳時代の到来と共に姿を消して行きます。
他方、奈良時代の歴史を学ぶと「和同開珎」が「日本で初めて鋳造・発行された銭貨」として教えられます。和銅元年=708年、つまり奈良時代初期になって初めて「日本(=この場合は埼玉県秩父市・秩父郡)で銅貨を鋳造した」とある。元号まで変えて大変な騒ぎようです。
でも奈良時代の前に飛鳥期があり、その前に古墳時代が数百年続き、さらにその前の弥生時代(素焼きの土器の時代ですよね)にすでに「銅鐸」とか「銅矛」とか作ってるじゃないですか?
何か変だと思いませんか。900年前の弥生時代から鋳物の技術はあったでしょうに、なぜいまさら「和同開珎」で大騒ぎ?