ノーベル賞選考委員会、ディラン氏に「歌ってもいい」

仏西部カレープルゲで開催された音楽フェスティバルに出演したボブ・ディラン氏〔AFPBB News

前回、ボブ・ディランのノーベル賞「無視」を巡って出稿したところ「沈黙」を破り始めたらしい、という報道が、すぐ追って出始めた様子で、面白いタイミングだなぁ、と思っています。

 この件については、ディラン・トマスの詩の押韻など、もっと細かな点を踏まえて音楽家の書く続稿を準備していますが、もう少し推移を見てからとしたく、旬日時間をいただければと思います。

前々回、東京大学の入試を例に、機械ではなく心を持った人間にしかできないことは何か、AIやIoTの進んだ時代にどういう人が求められるか、という話題を記しました。

 こちらはあまり読まれませんでしたが、人によってはボブ・ディランに言及したりIoTだったり、目がチラチラして流行りものを追っかけ過ぎる、あるいは「マルチ」などと思われる方があるかもしれません。

 でも実はボブ・ディランを巡る考察と東大入試で学生に新たに求められる能力は、ほとんど隣り合わせというのが現実なのです。具体的に少しお話ししてみましょう。

「独特過ぎる入試」はちっとも独特ではない

前々回は東京大学2016年入試の英語第二問のA 猫の写真の出題をご紹介しましたが、この「第二問のA」は毎年「独特過ぎる」などと言われる出題を続けています。

 例えば2015年の2-Aはこんなを見せ、

 「下の絵に描かれた状況を簡単に説明したうえで、それについてあなたが思った事を述べよ。全体で60-80語の英語で答えること」

 と問うています。イラストは、鏡を見たところ自分の顔が映っているのにアッカンベーをしており、見た本人がビックリしているという、ある意味ナンセンスなもの、またユーモアを感じさせるものでもあります。

 こうした問題を「模範解答がない出題」「独特過ぎる」「ユニーク入試」などと言う向きがあるのをネットで目にしましたが、それは大きく違っているように個人的には思います。

 これこそ入試の本道であると同時に、それを超えた「その人の発想・イマジネーションと現実的な能力」を見る、万古不易の問いかただと私は思うので。

 この種の「写真や絵を見て英語を書く」出題は、受験参考書によると2007年から行われているとのこと。もう1年前の2014年の問題も引用してみます。

2(A)下に示す写真の左側の人物をX 右側の人物をYとして、二人の間の会話を自由に想像し、英語で書け。分量は全体で50-70語程度とする。どちらが話しているか解る様に、下記のように記せ。XとYのどちらから初めても石。それぞれ何度初げしてもよい。

X:――――――――――――Y:――――――――――――X:―――――――――――Y:――――――――――――

 写真は、大きな自動販売機を前に若い男(X)女(Y)2人が立ってそれを見ており、左傍らの足元に、それらに全く興味なさそうに背を向けて犬が座っている、というもの。

 この絵の絵解きは、ワン公の無関心をどう面白く料理するかで、ネタとしてギャグを考えるなら、決まってきそうな気がします。

 そう、これは実は創意を問うてもいる。英語でユーモアや心の動くシナリオの断片を扱っている。