同盟関係の運営においては、潜在敵国との相対的なバランス・オブ・パワーの推移を見通すことが同盟の信頼性を維持するためには不可欠である。
日米同盟の今後のあり方を検討するうえでも、米国との対決姿勢を強めている中露との軍事的なバランス・オブ・パワーの変化を見通す必要がある。
1. 最後まで米国優位だった冷戦時代の米ソ核戦力バランス
冷戦時代は米ソ間で、いわゆる「恐怖の均衡」が成立していた。お互いに、仮に相手国から戦略核の奇襲攻撃を受けても、生き残った核戦力で報復すれば、相手国に国家として存続の危機をもたらすことができる能力を、米ソともに持っている状況、いわゆる「相互確証破壊」が成立していたとされている。
しかし、その実態は米側の圧倒的優位であった。
冷戦初期には、ソ連の周辺の米同盟国の基地に展開された米戦略空軍の中距離爆撃機と、米本土の長距離戦略爆撃機の数と行動半径は、ソ連の爆撃機戦力を圧倒していた。また、ICBM(大陸間弾道ミサイル)でも、米側はソ連を質量ともに圧倒していた。
ソ連のSSBN(弾道ミサイル搭載型原子力潜水艦)は、母港を出るとすぐに米側の攻撃型原潜に追尾され、あるいは西側の対潜作戦網に捉えられて、万一の時にはいつでも撃沈できる状況に置かれていた。それに対し、ソ連側が米国のSSBNをとらえることは、冷戦末期まで遂にできなかった。
唯一、ソ連のSSBNが安全に行動できたのは、オホーツク海であった。そのため、冷戦間、北海道の道北と道東は、西側の対ソ戦略上極めて重要な地位を占めていた。
オホーツク海に突き出た道北と道東は、日本にとっては固有の領土であり、何としても護持しなければならない主権の一部である。それと同時に、西側の世界戦略上も、ソ連の戦略核報復力を封じるために死守すべき要域であった。
逆にソ連側にとっても、対米核報復力であるSSBNの安全を確保するためには何としても奪取しなければならない要域であった。
このため、陸上自衛隊は北海道に戦車などの重戦力を集中し、航空自衛隊も千歳、三沢に主力戦闘機を配備してソ連軍の奇襲に備えていた。また、海上自衛隊も宗谷海峡や千島列島の間を縫って行動するソ連潜水艦の動向を常に追っていた。
このように、日本は冷戦期にソ連SSBN封じ込めに極めて重要な役割を果たしていた。この日本の貢献は、西側全体にとっても対ソ戦略上極めて重要な価値を有していた。
冷戦は大国間の戦争を経ることなくソ連崩壊により終った。自衛隊も戦うことはなかったが、抑止力として西側の戦いなき勝利に大きく貢献した。
冷戦期における軍事的側面から見た日米安保体制の本質的な意義は、このオホーツク海のソ連SSBNの封じ込め態勢にあったと言え、NATO(北大西洋条約機構)のバレンツ海正面以上の戦略的価値を持っていた。
日米間では、1965年以降日本側の貿易黒字が定着して通商・経済摩擦が激化し、そのうえ日米安保体制は片務性を抱えていた。それにもかかわらず、日米安保体制が揺るがなかったのは、このような核戦略態勢上の死活的な利益を日米が共有していたからにほかならない。