パソコンに新しいモニターをUSBケーブルなどで接続すると、きちんと適合するものについては「認識」して「ドライバーのソフトをインストールします」うんぬん、簡単なガイドが自動的に示されたりする。
仮に、機種として適合していないプリンターを接続したらどうなるか。
適切にI/Oとして認識せず、機能を果たすことはできません。早い話、型番がずれたプリンターでは印刷できない。
簡単な事例ですが、ここにセンサーやIoTの本質的な限界、逆に言えば人間の領分が端的に示されているので注意しておきたいと思います。
電子計算機、AIないしIoTのセンサー類は、事前にプリセットされたオブジェクトを、定義の範囲内で適切に「認識」することができます。箱庭やビニールハウスのような環境ではこれは非常に有効です。
しかし、未定義の「この世界全体」を認識する、というような芸当は、SFでロボットを擬人化するとき、いとも簡単に乗り越えさせてしまうポイントですが、容易にはできないんですね。
言葉の定義にもよりますが、ここでは「ノイマン計算機に意識を持たせることはできない」、もっと正確に言うなら「ノイマン計算機に、病人介護や危険回避のような判断の能力を十全に具備させる<意識>を持たせる実装に、現状で工期を設定して開発は無理」といったあたりが妥当だと思います。
これは、生命にとって「意識」とはどのようなものか、それがどのように進化発展してきたかの本質に照らして考えると、原理的に明らかなことと知れてきます。
現状のノイマン式計算機は大脳新皮質の知的演算の一部をスイッチング素子で代替して高速に処理しているものですが、現実世界の生き物に目を転じれば、大脳を一切欠く生命体、例えばゴキブリなどの昆虫、背骨のない生き物を考えればよいでしょう。
脊髄動物の中枢神経系が高度に発達して脳というシステム、ニューロンのスイッチング・ネットワークが生まれてきたわけですが、ゴキブリに人間のような脳はありません。
もっと低次の生命体、動物性プランクトンを顕微鏡で観察してみれば、アメーバでもミジンコでも、彼らの身の回りの世界、全く未定義の世界を認識し、行動しています。
動物は捕食しないと生きていけません。だから動くようになって「動物」なわけですが、自身が動けば世界も相対的に動きます。
そこでやって来る「餌」を捉え、あるいは「捕食者」から逃れ、個体と種の保存という生命の根本的な動機を維持し続けるうえで獲得されたセンサー=知覚の神経細胞と、そこで得られた情報を演算、判断する「神経節」が発達する中で「意識」というモジュールが少しずつ進化していきます。