アルプスの南麓、マッジョーレ湖畔にある南スイスの観光地アスコナに、「モンテ・ヴェリタ」(真理の山)と名付けられた丘がある。ここはかつて、スイスの心理学者であるカール・ユングや、ドイツ文学の作家ヘルマン・ヘッセなどの個性的な人物が集い、近代が生み出した矛盾を乗り越えるために交流した場所である。
私はこの歴史的な場所に招待され、「地球環境変動と生物多様性」についての国際会議に参加し、世界各国の研究者と議論を交わす機会を得た。この経験をもとに、モンテ・ヴェリタに集った先人たちの足跡をたどりながら、自由な近代社会を生きる意味と、そこで自然が果たす役割について考えてみたい。
はじまりは菜食主義者のコロニーだった
歴史上の偉人とも言える多彩な知識人たちはなぜモンテ・ヴェリタに集まったのか。
モンテ・ヴェリタは、スイス・イタリアの国境に位置するマッジョーレ湖を南に見下ろす小高い丘にある。丘の上には、1927年に建設されたホテルがある。1989年にチューリッヒ工科大学(ETH)が国際会議場としてこのホテルの使用権を獲得し、以後毎年多くの国際会議をこの場所で開催している。
国際会議場としては、とても辺ぴな場所にある。何しろチューリッヒ駅でアルプスを縦断する特急列車に乗り、3時間かけて南下し、さらに丘の上まで移動する必要があるのだ。しかし、モンテ・ヴェリタの自然と歴史は、確かにそれだけの時間をかけて訪問する価値を生み出している。
湖畔のアスコナの街からモンテ・ヴェリタへと続く小道には、ツタが垂れた古い石塀の間に、曲がりくねった石段が続いている。登りに一息ついて坂道を振り返れば、マッジョーレ湖畔の美しい街並みを展望できる(冒頭の写真)。まるでジブリの映画に登場しそうな風景である。
この美しい風景の中にあるモンテ・ヴェリタの歴史は、アンリー・エダンコヴァン(Henry Oedenkoven)というベルギー人と彼のパートナーが1900年に土地を購入し、菜食主義者のコロニーを創設したことに始まる。
25歳の若者だったアンリーは、ビジネスマンとして成功した父を持ち、お金には困っていなかった。彼は贅沢三昧の暮らしの末に健康を害し、医者にも見放されていた。彼はダーウィンの進化論をドイツに紹介した動物学者ヘッケルの著作に影響されて、「自然に還る生活」を目指した。
エダンコヴァンが始めたコロニーは、近代文明や合理主義に疑問を抱く多彩な知識人をモンテ・ヴェリタのあるアスコナの地に呼び寄せる役割を果たした。その中に、カール・ユング(心理学者)、ヘルマン・ヘッセ(ノーベル文学賞受賞者)、ジョーゼフ・キャンベル(神話学者)らがいた。
私はまったく別の経緯から、この3名に関心を寄せていた。しかし、この3名に深い関係があることを、今回モンテ・ヴェリタを訪問するまで、不覚にも知らずにいた。しかも彼らが美しい自然に囲まれたアスコナに引き寄せられた背景には、近代化や合理主義へのアンチテーゼとしての、自然と人間が共生する新しい社会への憧憬があったのだ。
もしヨーロッパにおいて、自然共生社会という東洋的ビジョンも視野に入れて「地球環境変動と生物多様性」についての国際会議を開くとすれば、モンテ・ヴェリタはまさしく格好の場所だ。