衆議院本会議、安保法案を可決 国民に怒り広がる

東京の国会議事堂前で、衆議院平和安全法制特別委員会が可決した安全保障関連法案に抗議するデモに参加した市民団体のメンバー(2015年7月15日撮影)〔AFPBB News

 参議院議員選挙の投票が数日後に控えている。そうした中でいかに選挙のためとはいえ、日本共産党の藤野保史政策委員長(当時)が「防衛費は人を殺すための予算」と発言したことは、「自衛官は人殺し」と言ったに等しく聞き捨てにできない。

 選挙を意識した発言であり、取り消したとはいえ、多くの国民に心理的影響を与えたに違いない。

 自衛官として30余年間勤務した間、人殺しと思ったことは一度もなかった。自衛官は一朝ことあるときは、自衛隊を蔑んで税金泥棒と叫んだ人も、隊員子弟の小学校入学を拒んだ組織も分け隔てなく救助することしか考えなかったし、教育もそのように行なっていた。

「平和で幸せな暮らしを」と言うが

 日本共産党や民進党は、何かと言えば「平和で幸せな暮らしを」と言う。自衛隊が存在すること、そして持てる力で日本の安全に貢献しようとすることを、いかにも「戦争を仕かける自衛隊」ででもあるかのように宣伝する。

 民進党の前身は民主党であり、短かったとはいえ政権政党になって、国家を運営した経験を有する。それが、安全保障で自衛隊を否定する日本共産党と共闘するに至っては、政権を握って国際社会と交わりながら何も学ばなかったというに等しい。

 戦後の日本は米ソ対決の中で、日米安保による米国の庇護の下で防衛費を極力抑え経済活動に専念することができた。

 日本の安全は日本単独では守れないことは、安全保障の「いろはの『い』」であり、戦後の歴史が証明している。共同防衛の必要性は、21世紀前後の国際情勢の激変で一層明確になってきた。そのために日米同盟の深化や活性化の努力が行われてきた。

 ましてや北朝鮮が核や弾道ミサイルの開発・取得に血眼になるに至って、核抑止力の必要性は格段に向上している。しかし、日本は非核三原則により米国の拡大核抑止に依存せざるを得ない。

 「平和で幸せな暮らし」は、こうした脅威に適切に対応することによって初めて実現する。日本共産党や民進党は憲法9条を守ることが外国の脅威に対処する最良の方策であると主張するが、中国は尖閣諸島だけでなく沖縄も自国のものだと言い出している。

 普段から、日本自身が日本を守るという意志と能力を備えるとともに、日本の能力を超える範囲については米国の抑止力に依存せざるを得ない。その米国の影響力を効果的にするためには、ギブ&テイクの基本に立ち返り、日本も米国に「与える」必要がある。