米国は第2次世界大戦の戦後処理の交渉の中で、朝鮮半島の南北分割占領をソ連側に対し提案し、北緯38度線を軍事境界線としてソ連と対峙する国家戦略を取った。

日本再軍備論

日本再軍備の方向性を探っていたウィリアム・H・ドレイパー米初代陸軍次官(ウィキペディア

 ところが昭和25(1950)年6月25日、朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮という)は、国家として成立して間もない大韓民国(以下韓国という)に対し、突如、軍事境界線を越えて侵攻を開始し、朝鮮戦争が勃発した。

 しかも、ソ連の極東に対する意図はそれだけにとどまらず、北朝鮮とともに韓国を脅かす方向の道を模索し始めていたのである。

 一方、第2次世界大戦に勝利し日本を占領していた米国は、朝鮮半島の南北分割を採ったものの、終戦直後から既にソ連の意図を察知して、これに対処する意図を示していた。

 そのような国際環境の中、昭和23(1948)年3月21日、米陸軍次官ウィリアム・H・ドレイパーは、国務省政策企画部長J・ケナン、陸軍省作戦課長C・シャイラー准将とともに、占領軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥を訪問した。

 ドレイパー訪問の意図は、日本再軍備のための方途があるか否かを探ることであった。しかしながら、当時、幣原内閣の司法大臣の職にあった木村篤太郎のメモによれば、マッカーサー元帥の日本再軍備に関する意見は次のようなものであったという。

(1)日本再軍備は、最も厳粛な国際的約束に違反する。極東諸国は、依然として日本再軍備を死ぬほど恐れている。

(2)日本再軍備は、軍国主義の排除と軍需産業の禁止を規定した米国の占領方針に違反する。

(3)我々が最大の努力をして日本を再軍備しても、3流どころか5流並みの軍隊以上のものは作れない。外敵から自衛できる望みはなく、ソ連にとっては好きな時にひと呑みにできる餌に過ぎない。

(4)日本は経済的自立のために闘っている。再軍備による負担が加われば、日本の生存は望み薄になる。

(5)日本国民自身が軍隊を支持していない。彼らは無条件に、政策の手段としての戦争を放棄した。