イノベーションの第1の機会──「予期せぬ成功」
「予期せぬ成功ほど、イノベーションの機会となるものはない。これほどリスクが小さく苦労の少ないイノベーションはない」
(『イノベーションと企業家精神』ピーター・ドラッカー著、上田惇生訳、ダイヤモンド社)
1970年、日本政府は減反政策(コメの生産制限)を開始します。減反の開始に当たり、富山県で行われた農家への説明会で、食糧庁は、減反政策は永続的なものではなく将来には減反停止することを示唆しました。今はコメが余っているが、数年後足りなくなる時には好きなだけ作ってよいというわけです。
この説明を聞いていた農家の1人に川崎礒信氏がいました。川崎氏は熱心なコメ農家で、コメが余っているなら仕方がないと国の政策に素直に従っていました。
しかし何年経っても減反は撤廃されません。「説明会で言っていたことと違うではないか」と怒った川崎氏は、減反を拒否します。
またたく間に富山でナンバーワンのヤミ米商に
政府の意向に従わない川崎氏に対し、食糧庁は報復として川崎氏のコメを買わないという手段に出ます。
当時は食糧管理法によってコメは全て政府が買い上げていました。政府以外に売ることは違法であり、売ろうとすると「ヤミ米」というダークな世界に行くしかありません。食糧庁は、事実上川崎氏の収入の道を閉ざしたのです。
困った川崎氏は、背に腹は代えられず、自分の作ったコメを近所の家庭に売りに行きました。すると信じられないことが起こったのです。
「おいしいから、また持ってきてほしい」。そんな人が続出しました。驚いた川崎氏はヤミ米商を開始し、またたく間に富山県でナンバーワンの米穀商(ヤミ米商)になります。
91年、川崎氏は自分のヤミ米販売の記録を食糧庁に持ち込み、「自分を告発して逮捕してほしい」と言い放ちます。これを受けた食糧庁が告発をしなかったことで大騒ぎになるのですが、それはともかく、なぜ川崎氏のヤミ米はそんなに売れたのでしょうか?
「味のいいコメだけを売れば大儲けできる!」
コメは日本人の主食と言われています。しかし、実際に主食と言えるだけみんなが食べられるようになったのは、この50年くらいに過ぎません。
現在60代以上の方の中には、子供の頃「ご飯」と言えば麦飯ばかりでコメは食べられなかったという方がおられます。コメは、日本で自給できるほど生産することができない贅沢品であって、主食ではなかったのです。