お客様の前では愛想が良くて腰が低い営業マン、会社に戻ると部下に厳しい鬼上司、家に帰るとテレビの前でごろごろして妻から邪魔者扱いされる夫。
人にはいろいろな一面があるとつくづく感じる。そんなふうに人は環境や立場によって様々な仮面を使い分ける。
こういった仮面を心理学者のユングは人間の外的側面として「ペルソナ」と名づけた。社会的生物である人間は、時と場合に応じてペルソナをうまく使い分けることで健全な人間関係と精神状態を維持している。
そのため、相手とどういう立場で関わるかによって、自分のペルソナも相手のペルソナも変わり、お互いに把握するのはその関係において見せる相手の1つのペルソナに過ぎない。
人を1面でしか判断しない危険
ただ、人はその1つのペルソナだけを見て、その人の全体像を類推しようとする。一時の行為や発言だけを見て、その人のことを分かったように言うこともある。
「こいつ根っからの悪人だよな」「しょせんこいつはこういう人間だから」
週末の夜、電車に乗っていると、こんな会話が聞こえてきた。
中年の男性2人組が雑誌の中吊り広告の見出しについてあれこれ批評していた。その見出しは事件の謝罪会見に関するものだった。
確かに、謝罪会見をしている写真や見出しの文字を見ると、その人は悪人のように見える。しかし、それも1つのペルソナに過ぎず、謝罪会見を見ただけで根っからの悪人と決めつけるにはあまりにも軽薄だと言える場合もある。
優しいがゆえに自らが罪をかぶる、勇気があるがゆえに他の人を代表して謝罪する。そんな場合だってある。
ほんの限られた情報だけで人を決めつけるような言い方をする人を見ると切なくなる。