「申し訳ないけれども転院させてください」
先日、患者さんのご家族に相談を受けました。その患者さんは震災でお子さんを失い、これまで2人の甥ごさんが交互に面倒を見られてきたそうです。今回自力での生活ができなくなり、長期の入院を余儀なくされていました。
「叔母(患者)の兄弟・姉妹も年だから車を持っていませんので、面会のたびに私たちが車を出すんです。でも、私の両親、妻の両親もすでに介護が必要な状態で・・・叔母のためにこちらまで通うのは、限界です」
夫と息子の介護をする80代の女性や、夫とその親を亡くし、夫の祖父母の介護をする義理の孫・・・津波と原発事故という二重の災害により急速な高齢化が進んだこの地域では、このような例は決して珍しくありません。
原発事故の後、浜通りでは地域のコミュニティだけではなく、これまであった大家族という単位の家庭もまた崩壊しました。そのような中で、今この地域が直面している最も深刻な問題は、介護問題です。
特に要介護者だけでなく、負担の増え続ける介護者をどうしたら救うことができるか。相双地区では、昔ながらの「講」という文化をヒントに新たな試みがされようとしています。
増加する介護者の負担
相馬市のデータによれば、高齢者の中で要支援者・要介護者の割合は、震災前の2011年2月には16.5%でした。その値は、震災から1年半たった2012年9月には18%まで増加しています。
この背景には、慣れない避難生活で生活活動度が落ちてしまった高齢者が多い、ということもあると思います。しかしそれだけではなく、介護をする家族がいなくなってしまったために、介護申請を必要とする必要が増えた、という事情もあるようです。
相双地区では、震災前までは2世帯、3世帯、場合によっては4世帯という家庭がよくあったそうです。
もともと漁業・農業などの自営業が多かったこの地域では、家庭=仕事の場であり、何世帯かで分業していることも珍しくない、という背景があるのかもしれません。病院の外来でも、「夜叉孫と暮らしている」というお年寄りを時折見かけます。
大家族で暮らしている時には、高齢者がたとえ寝たきりになっても、介護を交代で行うこともできます。そのため、これまでこの地域では介護の外部化はあまり行われてこなかったようです。