地球温暖化に関する「京都議定書」が国会で批准された2002年、経済産業研究所で関係各省庁の会議が開かれた。その場で、環境省のある課長は「京都議定書の目標(1990年比マイナス6%)を達成することは不可能だ」と言った。それは最初から勝てないと分かっていて始めた日米戦争のようなものだったが、国会は満場一致で可決したのだ。
そして京都議定書は失敗に終わり、次の枠組づくりは難航しているが、11月末からパリで始まるCOP(国連気候変動枠組条約会議)21では話し合いがまとまると期待されている。日本は2013年比マイナス26%という目標を持って行くが、それは実現可能なのだろうか。
京都議定書はEUとアメリカの罠だった
1997年に調印された京都議定書は、EU(ヨーロッパ連合)の仕掛けた罠だった。わざわざ1990年という基準年を設定したのは、そのころEUの温室効果ガス排出量が最高になったからだ。社会主義が崩壊して東ヨーロッパがEUに統合され、非効率な国営工場がどんどんつぶれ、EUのCO2(二酸化炭素)排出量は大きく減少した。
放っておいても目標の2012年までには15%ぐらい減るのに、EUは7%という楽な目標を設定し、省エネが世界一進んでいた日本には6%という目標を押しつけた。アメリカは8%というもっと大きな枠をゴア副大統領が約束したが、彼が京都に来る前に、米上院は全会一致で議定書に反対していた。
つまりゴアは、どんな数字を約束しても議会が批准しないことを知っていたので、いくらでも大胆な約束ができたのだ。彼が温暖化の危機を訴えた著書『不都合な真実』はベストセラーになって映画化され、彼はノーベル平和賞を受賞したが、アメリカ政府は温室効果ガスを削減していない。
こうして日本はだまされたのだが、2010年に鳩山由紀夫首相(当時)は「1990年比で25%削減」という突拍子もない国際公約をしてしまう。この結果、鳩山政権はエネルギー基本計画を大きく修正し、2030年までに原発比率を53%にするために少なくとも14基の原発を新増設するという野心的な目標を掲げた。
しかし翌年の福島第一原発事故で、民主党政権はいきなり「原発ゼロ」に転換する。その翌年の2012年は京都議定書の期限だったが、日本の排出量は10.8%も増えたため、数千億円で排出権を中国やロシアなどから買い、目標を形式的には達成した。しかし実際にCO2を削減したかどうかは検証できず、違反しても罰則がない。