私は子供の頃、体が小さくて、義務教育の間はずっとクラスで一番背が低かった。早生まれということを差し引いても、中学校入学時に120センチ台というのはかなりの小ささである。

 1964~65年に生まれた子供はたいそう多くて、小学校も中学校も1クラスが40人以上で、1学年が9クラスとか10クラスもあった。450人近くも同級生がいた中で、私は男子では2番目か3番目に小さかったと思う。

 勉強はそこそこできて、足も速かったから、体の小ささがコンプレックスになることはなかった。ただ、ちょこちょこいじめられることはあって、特に小学3~4年生の時には毎日私を攻撃してくる子がいた。

 同じクラスの増淵君(仮名)で、団地の棟も同じだったために逃げようもなく、毎朝家を出るのが恐かった。

 私はケンカというのがまるきりダメで、子供の時から今に至るまで、男女を問わず人を殴ったことがない。頬を叩いたり、つねったりしたこともない。しかも、やたらと小さいときているわけで、増淵君にとっては格好の標的だったのだろう。

 パンチをされるか、キックが来るか、それともヘッドロックをしてくるか。その日によって技は違うが、1日1発なのがせめてもの救いだった。

 増淵君は私よりずっと大きくて、パンチもキックもけっこう痛い。でも、長男としてのプライドもあって、結局親には言えなかった。一度くらい言ったかもしれないが、母が増淵君のお母さんに苦情を訴えたことはなかったと思う。

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 そのうちに増淵君からの攻撃はなくなり、中学校ではクラスが違ったので、私は増淵君のことをすっかり忘れてしまった。

 身長も中3になった頃からようやく伸び出して、高校を卒業する時には170センチに到達した。

 増淵君のことをしばらくぶりに思い出したのは、北大に進んでから茅ケ崎に帰省した時だ。何がきっかけになったのかは覚えていないが、私はかつて増淵君に攻撃されていたことを母に話した。

「どうしてるんだろうね?」
「とっくに引っ越したわよ」
「とっくって、いつさ?」
「光晴が高1の時じゃないかしら」
「全然知らなかった」
「ずっとご夫婦の仲がよくなくて、ある時、ご主人が出ていっちゃってね」
「そんな話も聞いたことがないけど」
「そうよ。教えなかったもの」