日本企業の対中直接投資は、1980年代初期から3つの段階に分けることができる。

 まず、80年代末までの対中直接投資は基本形として国有企業との合弁が多く、家電やその部品などを組み立てる輸出製造業がほとんどだった。

 90年代に入ると日本企業は、円高とバブル崩壊を背景に、生産拠点をアジアに移転する一環として中国に進出した。高付加価値の輸出製造業はやはり大きなウェイトを占めていた。

 2001年以降は中国のWTO加盟を受けて、サービス産業の投資が増えたことが特徴的と言える。

 日本企業の対中直接投資の変遷から、日中経済関係の変貌が読み取れる。まず、80年代以前の対中直接投資は中国の「改革開放」が計画経済に逆戻りするリスクが存在することから、ある種のテスト、実験のようなものだった。

 90年代の対中直接投資は日本のバブル崩壊を受けた動きだった。日本の産業空洞化が心配されながら、日本企業の中国進出が徐々に本格化した。この時期に中国は世界の工場になったのである。

 さらに、2001年以降に中国のWTO加盟を受けて市場開放が本格化し、計画経済に逆戻りしないと確信され、物流や流通といったサービス産業も中国に進出するようになった。それにつれて中国は「世界の工場」から「世界の市場」に変身するようになった。

いまだに改善されない売掛金回収難の問題

 中国では市場競争原理が導入されているが、市場で一向に改善されない問題がある。それは売掛金の回収が難しいという企業間債務の問題である。

 振り返れば90年代、「三角債」という企業間債務が大きく膨らんだ時期があった。政府が金融引き締め政策を実施することによって国有企業を中心に流動性不足に陥ったのが主な原因である。

 それから10年以上が経過した。企業間の「三角債」の問題は依然として存在するかもしれないが、企業のファイナンスが多様化したことによってこの問題は取り上げられなくなった。その代わりに、「売掛金の回収が難しい」という古典的な問題はほとんど改善されていないと言われている。

 かつての三角債問題は政府の金融引き締め政策がきっかけだったとすれば、企業の売掛金回収難の問題は、信用を軽視する中国企業のモラルハザードが原因だと言える。

 だが、中国において日本企業が売掛金を回収できない事例が多いのは、日本企業の経営手法に問題がある。というのは、中国市場では信用が確立していないのはビジネスの前提だからだ。