徐福の石造(和歌山県新宮市の徐福公園、ウィキペディアより)

 先日、佐賀県で「徐福」のセミナーが開かれるという案内があった。

 ある仕事の関連で数年前から徐福を研究している人たちとの交流を手伝っている。それまで徐福の名前は知っていたが、紀元前の人物であり、秦の始皇帝の命により不老不死の霊薬を求めて東方へいったというところまでしか知らなかった。

 徐福は、司馬遷の「史記」にも登場するが、中国、日本、韓国では伝説になっている人物でもある。不老不死の霊薬を探しに東方に行ったということで、韓国や日本の各地で徐福が上陸したという伝説が残っている。

 初めて徐福を研究しているという人たちに会ったのは、済州島であった。それまで、韓国のハワイと言われる済州島には休暇で何度も行ったが、「徐福」関連の展示館や公園があることは知らなかった。

中国の政治家を自慢したがる済州島の研究者

 済州島の徐福公園には中国の温家宝元首相の直筆文字を刻んだ石碑もあり、徐福研究者たちはそちらの方を自慢したしたがった。最近は、習近平主席が浙江省の党書記の時代にも立ち寄ったと自慢していた。

 さて、済州島がなぜ徐福と関連があるかと言うと、済州島の伝説によると、徐福は東方の地、済州島に渡り霊薬を求めた後、大きな岩に「徐市過之」と書き残したという。その場所がまさに現在の済州島にある「西帰浦(ソギポ)」という地名の由来である。

 韓国には、済州島以外にも慶尚南道の南海(ナムへ)、巨済(コジェ)などが、徐福のゆかりの地として名前が挙がっている。