長かった夏休みも残り数日となり、ほっとしている親御さんも多いのではないかと思う。

 我が家では、8月25日から下の子が学童保育に通いだし、小学校教員の妻も準備登校で学校に出るようになったので、一足早く2学期が始まった恰好になっている。

 相変わらず家事はしているけれど、日中は子供から解放されているので、執筆以外の時間を自由に使えるのがありがたい。新聞にゆっくり目を通したり、雑誌をめくったり、古い本をひもといたりといったことは、夏休みの間はほとんどできなかった。

 息が詰まるという表現は適当ではないけれど、子供が1日中家にいると息が抜けないと感じるのは事実である。

 以前、保育園の先生と話していた時にも、保育士として20人の子供を世話するよりも、家でわが子1人の相手をする方が大変ですよと打ち明けられて、保育のプロでもそうなのかと気持ちが随分楽になった。

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 子供は本当に可愛く、全力で成長を助けてやりたいと思っても、家にいる大人が自分1人という状況は、傍から想像する以上にきついものである。

 保育園に子供を預けてみて初めて分かったのは、自分たち夫婦以外の誰かがわが子の成長に関わってくれることのありがたさだった。

 お尻にはオムツをつけて、口に入れるのは離乳食、びーびー泣いてばかりの赤ちゃんだった息子たちの世話をしてくれた先生方への感謝を、私は生涯持ち続けるだろう。

 それに子供が幼い時期というのは夫婦関係も不安定になりやすい。懇談会の後に、部屋の隅で先生と2人きりで話すうちに泣きじゃくってしまったお母さんが幾人いたことか。

 専業主婦がいけないというつもりは毛頭ないけれど、妻も夫も仕事を持ち、保育園や学童保育の助けを借りながら子育てができる社会環境を整えることは、大人にとっても子供にとっても益のあることだと、私は思っている。

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 話は大きく飛ぶが、保守派の論客だった福田恆存(1912~1994)は、「あなたにとって、日本とは何か?」という質問に答えて、「近所のそば屋だ」と言った。

 『私の國語教室』(1960年、新潮社)の刊行によって新仮名・新漢字の導入に真っ向から反対した福田なら、「日本語だよ」としたり顔で答えそうなものだが、「近所のそば屋」という実体を持ってくることにこそ、この人の面目がある。

 確かにそば屋とはいいもので、私たちも新婚夫婦として浦和に住んでいた頃はよくそば屋に行った。