1カ月ほど前のことです。大学の総務係に文芸春秋から原稿の依頼がありました。テーマが奮っていて「迷走する東大改革と具体的な解決法」について書けと言う。

 考えてみて下さい。例えばX物産に勤務するサラリーマンA氏に「X物産の迷走と具体的な問題解決法」という依頼があり得るでしょうか?

 そんなものに答えたら最後、A氏のX社内での出世は永久にストップし、えらいことになってしまうでしょう。

 が、それを分かっているのか分からないのか、文春は私に「東大改革」について書けと言う。

 ただでさえ私は音楽の人間で大学内での評価と縁遠く、1999年に助教授になった頃、当時は助手や講師だった年少の人たちが今や軒並み正教授という中で、いまだに准教授に留め置かれている身です。

 開高健賞は2006年ですから9年前、専門の国際賞も貰っていますが、そういう社会の評価と関係がない特殊な空間が大学というのは身を以て知っていますので、少し考え、日本社会の今後のためにもなることと思い、この原稿を受けました。

 先週から書店で「文藝春秋オピニオン 2015年の論点100」として発売されている「論点45 東大改革 創造力の枯渇こそ『死に至る病』」の元原稿に記し、紙幅のために削った内容を今回はご紹介したいと思います。

不可思議な東大総長選挙

 この原稿を受けた1つの大きな理由は、今月27日、東京大学で総長選挙があるからです。この「選挙」は実に不可思議で、理解しがたいプロセスを踏んで行われます。

 選挙と言いますが、立候補があるわけではありません。東大の総長ですが、別に現役の東大教授でなくてもよく、誰の名前をどう書いても自由、というのが従来の不思議のその1。

 独立行政法人化以降は「総長選考会議」なる閉ざされた委員会が開かれ、そこから天の声のごとく「候補」の名が絞られて発表されるのですね。今回について言えば、苗字50音順で、

理事 江川雅子
理学系研究科長・理学部長 五神真
理事・副学長 長谷川壽一
医学系研究科長・医学部長 宮園浩平
副学長 大和裕幸

 の5人のお名前が、あたかも立候補者のごとくに告知され、これらの方々を主な候補として我々各部局の教授会メンバーを有権者とする、1度ないし数度の「意向投票」で次期総長を決めるということになっています。

 このとき「総長選考会議」に名前のなかった人の名が有効票となるのか無効票となるのか、実は 現時点で私もよく分からず、調べておこうと思います。

 何にしろ決選投票に向けて絞っていくなかで多数を占めるのは結果的に「選考会議」で名の出た人になるでしょうが、結果オーライの微温な入れ札というのが、実のところではないでしょうか。そんなプロセスを経ながら選ばれるのが東京大学の学長という職位にほかなりません。