今月から来月にかけては、公開行事が5回、12月後半は展示と集中的な演奏など、戦没学徒や特攻に関連する行事を続けています。

 「ずいぶん詰めてやるな」と思われるかもしれませんが、実は私としては助走期間のつもりなのです。つまり2015年、終戦・原爆などから70年目を迎える来年、様々な行事を予定していますが、そのためにチームの体制作りなどを含め、一通り当たっておこう、という面があるのです。

 その思いを特に強く持つのは「オーラル・ヒストリー」的な『証言』の記録です。日本でも、またアムステルダムやベルリン、ロンドンなど欧州でも行いますが、大学での研究室のプロジェクトとしても、一音楽家の私のライフワークとしても、非常に重要なものと考えています。

 2005年、戦後60年目に当たった9年前には、主として春と夏に集中的な仕事をしました。

 これは国連・世界物理年の日本委員会幹事として担当した仕事、そこから分派行動的に、学校法人根津育英会・武蔵学園と内閣府にサポートしてもらって立ち上げた「山川健次郎祈念イニシアティヴ」、そして8月6日と9日に東京芸術大学奏楽堂と東京大学大講堂(安田講堂)で行った平和祈念レクチャーコンサート/シンポジウムなどです。

 なにも60年とか70年とかいう年だからやっているわけではなく、終わることのない問いですので、平素の積み重ねが最も重要です。

 何を隠そう、10年前にこれらの仕事をしてみて、特に戦争を巡るメディア・プロパガンダの悪質さと、戦後手のひらを返して何ひとつ責任を取ろうとしなかった姿勢が、その後も延々これに類することを繰り返してきた元凶と思いましたので、それを即物的に記録、実証する『脳血流可視化』の手法を、島津製作所の技術協力で導入、2005年の公開行事でもライブで行いました。

 メディアは、流したあとは知りません、という「撮って出し」の姿勢で一貫していますが、それらの視聴で人間がどのように変わってしまうのか、如実に証拠で突きつける、ということをしているわけです。しかし、必ずしも社会の多くはそのように受け止めてくれていません。

 これは、一連のイベントが終わったあと、オウム真理教のメディア・マインドコントロールに焦点を当てて(私の物理学科時代の同級生、豊田亨君が当事者なので)『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)に関連する一連の仕事をしました。この本では開高健賞をいただいたのでその賞金で後継プロジェクトを立ち上げ、またこのときのご縁から本連載の前身である「常識の源流探訪」(日経ビジネスオンライン)も始まりました。

 そういう経緯がありました。やはり節目の年には、できることを集中してやっておきたい、そういう思いが強いのには、もう1つ別の理由があります。

未来への遺言

 2005年に行った、例えば広島・長崎の学術行事では、1945年8月、あの日あの時、大学人として研究室におられた、あるいは兵士として、動員学徒として、新型爆弾調査の仁科グループのメンバーとして「あの場所」に行かれた方々に、多くのご証言をいただきました。

 10年経ったいま、その大半の方が鬼籍に入っておられます。現在打ち合わせをしていても「10年後は生きているとは思わない。生きているうちに証言を残しておきたい」とおっしゃる方が非常に多い。

 人間の命には時間的な限界がある。そういうのっぴきならない事情があります。また同時に、音声動画コンテンツの寿命は、人間の肉体の寿命より、もしかするとほんの少し長いかもしれない。

 例えば私たちは、歴史的な名優の演じる大作映画を楽しむことができますし、なくなった落語の名人の話芸を録音録画で楽しむことができる。

 世の中には、無意識に、音声動画や音楽はすべて「エンターテインメント」で「市場の支持を受ける(ヒットする、売れる)」ものに価値がある、と思い込んで一切疑わない人が、結構少なくありません。