時事ドットコムの特集で、「懐かしい『昭和の学校給食』」というページを見つけ、ちらりと見るつもりが、いつの間にかじっくり見入ってしまった。埼玉県には「学校給食歴史館」というのがあるそうだ。

 昭和の給食だけでなく、番外でさらに昔のもあって、一番古い給食が明治22年。大日本帝国憲法が公布された年だ。おかずは焼いた塩鮭で、それに菜の漬物と大福のような丸いおにぎりが2個。ちゃんとお箸がついている。粗食とはいえ、れっきとした日本のご飯で、結構おいしそう。

 付録その2が大正12年、関東大震災の年の給食。五目御飯と、実のたくさん入ったお味噌汁。続いて昭和2年の給食は、サワラのつけ焼きに、ホウレンソウの入ったクリームスープ、そして、お茶碗に盛られたご飯。別に御馳走ではないが、美味しそうだ。

時代を反映する給食の中身

 その後、ドッと飛んで戦時中になると、お米が消えてしまう。昭和17年にはすいとん汁のみ。小麦粉を水で溶いた団子と少量の菜が入ったお汁だ。

 20年の終戦を迎えると、お米の代用食のすいとんさえ消えて、味噌汁だけになる。それに、アルマイトのお椀に入ったアメリカ軍だかユニセフだかからの差し入れの脱脂粉乳が1杯。当時の逼迫していた食糧事情がよくわかる。

 それでもこの給食によって、飢えから救われた子供たちも多かったのだろうと思う。お腹を空かせながら、この薄いお味噌汁を啜っていた子供たちの姿を想像すると、涙が出そうになった。

 戦後2年経って、22年の給食にはトマトシチュー。日本は依然としてアメリカ軍の占領下だ。トマトシチューは、米軍の援助にトマト缶が入っていたからが登場したのだそうだが、具は味噌汁とあまり変わらない。お味噌の代わりにトマト味になっただけの感じだ。依然としてご飯はない。お椀の脱脂粉乳は健在。

 給食の中身が画期的に変化したのは、昭和25年だ。この年、米軍寄贈の小麦粉により、初めて都市部の学校での完全給食が実施されたというが、ここで登場したのがコッペパン。さらに決定的な変化は、お箸が消えてしまったこと。

 写真には先割れのスプーンが写っているが、私は、昭和44年まで大阪市で学校給食をいただいたが、先割れスプーンはまだなくて、アルマイトのレンゲのようなスプーンが付いていた。どちらも食べにくいことには変わりない。

 これ以後、給食の中身はだんだんよくなる。コロッケとか、鯨の竜田揚げとか。どうやってこれをスプーンで食べるのかという疑問は残るが、献立としては納得できる。