(1)経過

 本日(10月8日[原稿執筆時点])、米国内で初めてエボラ出血熱と診断されたトーマス・エリック・ダンカンさん (42才) がテキサス州ダラスのプレスビテリアン病院で亡くなった。

 プレスビテリアン病院はダラスでも有数の規模を誇る総合病院であり、また、他のウイルス感染症で臨床試験中の新薬 (brincidofovir:ブリンシドフォヴィル)の投薬や人工呼吸管理・人工透析など集中管理が行われたが、多臓器不全から回復することができなかった。以下、現地の保健当局の発表 や報道を元に経過を整理した。

 9月19日、トーマスさんはリベリアを出国する直前に、19歳の妊婦が病院行きのタクシーに乗るのを介助した。この妊婦は同日夕刻に死亡。後にエボラ出血熱による死亡と診断された。介助の際にトーマスさんは、妊婦の血液或いは何らかの体液に触れ、エボラウイルスに感染したと考えられる。

 トーマスさんはリベリアを出国時、「エボラウイルスに感染した人に接触したことはない」と申告、ベルギー・ブリュッセル空港及びワシントン・ダレス国際空港を経由し、20日、フィアンセが待つダラスに降り立った。一連の出入国では、感染症症状を呈していなかった。

 9月24日頃から発熱・腹痛が始まり、翌25日22時にプレスビテリアン病院の救急外来を受診したが、軽症との判断で、抗生剤の処方で帰宅となった。この際、トーマスさんは病院スタッフにリベリアから渡米したことを申告した。しかし、この情報が医師に伝わることは無かった。

 容態が悪化した28日、トーマスさんは救急車で再びプレスビテリアン病院の救急外来を受診、緊急入院となった。意識レベルはかろうじて周囲の人々と会話できる程度だったという。2度のPCR検査 (高感度なウイルス遺伝子の検査法) でどちらも陽性になったことが30日13時に判明し、これが米国初のエボラ出血熱の診断となった。陰圧室に隔離され、前述の集中治療を施されたが、死亡に至った。遺体は病原性を保持しているため、点滴チューブや気管挿管チューブを外すことなく、2重のプラスチック袋に埋葬され、直ちに火葬となった。