集団的自衛権をめぐって国会が紛糾している。意外なのは公明党だけではなく、自民党内にも反対派が多いことだ。中国が尖閣諸島で日本を挑発しているとき、憲法解釈や「グレーゾーン」をめぐって神学論争を繰り返しているのは、平和ボケと言うしかない。

 特にあきれたのは、共産党の機関誌「しんぶん赤旗」に加藤紘一元幹事長が登場して、集団的自衛権に反対したことだ。資本主義を守る自民党の元幹部が共産党の機関紙に出るのは末期症状だ。自民党まで野党化し、国会は「オール野党」になってしまった。

日本の政治は「百姓一揆」

 こういう状況は、今に始まったことではない。55年体制では、万年野党の社会党が最初から政権を取らないことを前提にして「非武装中立」などのきれいごとを言い、自民党は政策立案や実行を官僚機構に丸投げしてきた。

 政治家にとって大事なのは、政策ではなく選挙だ。彼らは与野党とも選挙区に利益誘導するロビイストのようなもので、法律の80%以上は内閣提出法案、つまり官僚が作っている。日本の国会は、立法府として機能していないのだ。

 その原因は、天皇制にある。天皇家は8世紀ごろには実権を失ったが、名目的な君主として続いてきた。実権は摂政や関白などのナンバーツーが持っていたが、天皇は追放されないで、精神的な権威として利用された。

 このため日本には、絶対的な国家権力ができなかった。武士が政権を取ってからも国家権力と民衆の対立は百姓一揆で定期的に「ガス抜き」されたが、百姓一揆は検地(増税)反対などの既得権保護を要求するだけで、権力を取ろうとはしなかった。

 明治以降も、この構造は受け継がれた。明治憲法では天皇は政府と軍を統括する強い権限を与えられたが、実権は長州閥が握っていたので、天皇に意思決定の権限はなかった。立法するのは官僚で、内閣を任命するのは山県有朋などの元老だったので、帝国議会には何の権限もなかった。

 議会の中心となった板垣退助などの自由民権運動も、権力を取る気はなかった。ここでは与野党とも政治家には責任がなく、政府を攻撃して大衆の人気を得て利権の分け前にあずかるのが彼らのビジネスモデルだった。

 この責任を取らないで文句だけ言う百姓一揆の伝統が、21世紀まで続いている。日本の政治は明治時代から、ずっと「オール野党」なのだ。