5月21日、クロアチア人の知り合いが訪ねてきた。ドイツには、ユーゴ紛争のときに難民として入ってきた人たちが、そのままたくさん住み着いている。クロアチア人だけで24万人以上。私の住むバーデン・ヴュルテンベルク州はとりわけ多く、そのうちの3分の1がいる。
ついでに言えば、ドイツに住む旧ユーゴの住人で、クロアチアの次に数が多いのがセルビアの20万人、ボスニア・ヘルツェゴビナが15万7000人、コソボから逃げてきた人はなんと17万人もいる。
クロアチア人の知り合いは開口一番、「国が洪水で大変なことになっています」と悲壮な面持ち。ボスニアとセルビアの悲惨な状況は、毎日ニュースになっていたので知っていたが、クロアチアのそれは初耳だった。
「えっ、クロアチアも?」
「ええ、ボスニアとセルビアほどはひどくないけど、かなりやられています」とのこと。
「あなたの家は?」と訊くと、「私の家は大丈夫なのだけど・・・」と、心から嘆き悲しんでいる。
それはそうだろう。旧ユーゴスラビアは、長いあいだの内戦で荒廃し、ようやくこのところ、ぼちぼちと復興し始めていたのだ。なかでもクロアチアは去年7月からEUに加盟して、人々の気分は上向いていた。なのに、洪水はこたえるだろう。
バルカン半島の洪水で散乱した地雷
バルカン半島の国々はまだまだ貧しい。その半島に5月上旬より低気圧が留まり、120年来最悪という強烈な豪雨が続いた。
ボスニアとセルビアの各地は、徐々に水に侵され始め、すでに5月16日ごろには広域が水没し、外界から遮断されてしまった地域も出ていた。また、その他の多くの地域でも、今は辛うじてもっているが、今夜にもダムが決壊するかもしれないというような危険な状態が続いた。
水嵩は凄い勢いで増えたらしく、ボートとヘリコプターが出動して、湖のようになってしまった風景の中に取り残された人たちを必死で救い出していた。セルビアで3万人、ボスニア・ヘルツェゴビナで10万人が、避難所に移された。皆が、極度の緊張の下、幾晩も眠れぬ夜を過ごしていた。