前回のこのコラムでウクライナの問題について書いた。それから2カ月半経た現在、ロシアは相変わらず隣国との問題を抱えたままでいる。そして、それは筆者や、恐らくロシアと多くの西側諸国の予想をも遥かに超える形と規模に突き進んでしまった。
この16日にクリミアでの住民投票が行われ、96.77%という圧倒的多数がロシアへの帰属を望むという結果になった。投票率は83.1%だったという。
後戻りできない対立関係に入ったロシアと欧米諸国
どちらの数値も、昔のソ連や今の北朝鮮を想像させるような代物だが、これを受けて18日にロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、上下両議院議員や地方政府知事、政府関係者を集めて特別演説を行い、クリミアのロシアへの編入を認める決定を明らかにした。
ロシアは、クリミアのウクライナからの分離を絶対に認めないとする欧米諸国やウクライナの新政権と、どうやら後戻りできない対立関係に踏み込んだようだ。いずれの側にもその立場を譲る気配はまるでない。
ここまで立ち至ってしまった背景を考えるうえで、キエフの騒擾に一段落ついたと思われた昨年末から最近に到るまでに、何が起こったのかを多少なりとも振り返っておく必要があるだろう。
正月の休みが終わりかけた1月の初めに、年末には収束しかかったやに見えていたキエフの独立広場での騒動がまた始まった。反政府派との力関係で勝負はすでについていると踏んでいたヴィクトル・ヤヌーコヴィッチ政権は、広場に居座る彼らを強制的に排除する攻勢に出た。その排除を可能にする一種の治安維持法が、与党多数の議会で可決される。
今から思えば、この対応は拙劣だった。騒ぎに火をつけていたウクライナ民族主義の過激派は、政府のこの出方を待っていたかのようにさらに暴れる。騒動はキエフから西部の諸州都へと飛び火し、そして1月末には西部出身者の引き起こす騒動に同調しない東部でも、反政府派による州庁舎の占拠騒動が起こる。
状況の悪化と「治安維持法」への西側の強い批判に晒されて、ヤヌーコヴィッチ政権は結局その撤回を余儀なくされる。議会では野党が要求する憲法改正を巡って堂々巡りの議論が続く中、ソチ五輪が始まると古代アテネでの伝統よろしく、あたかもその間は街頭闘争も休戦のようでもあった。
しかし、五輪がまだ終わらない2月18日に再び火は燃え上がり、キエフでの反政府派と治安部隊との衝突で80人を超える死者が出る。
この時点では、政府側が狙撃兵を起用して反政府デモの参加者を射殺していたと批判されたが、民族主義過激派も各地の内務省武器庫を襲撃して武器を簒奪していた。これらが5000人を超える反政府派武装集団を作り上げた、と露紙は報じている。