大韓民国(韓国)は、日本の敗戦(1945年)とその後の米国の信託統治、すなわち米軍の施政下における支援を得て1948年8月15日に独立した。

独立当初から反日だった韓国

李承晩・初代大統領(ウィキペディアより)

 韓国の独立には、その後の対日政策を決定づける2つの大きな要因が背景として存在する。

 1つは、独立が、当時反日を旗印に掲げていた一政治団体である大韓民国臨時政府の「法統」を継承していること、他の1つは、韓国は自からの力によって自立的に独立を果たしたのではなく、先の大戦の成り行きによって他律的に独立したという歴史的事実である。

 大韓民国憲法の前文は、「大韓国民は、三・一運動により建立された大韓民国臨時政府の法統及び、不義に抗拒した四・一九民主理念を継承し、・・・」と記述している。

 大韓民国臨時政府(以下、「臨時政府」)は、朝鮮の独立運動を進めていた活動家である李承晩や呂運亨、金九などによって1919年に設立された。一政治団体であったが、臨時政府は憲法を発布(1919年4月11日)した。

 その際、日本を東洋の独逸(ドイツ)であるとしてその非人道的暴行を非難するとともに、日本の野蛮を教化し、日本の暴力に勝利すると宣言している。つまり、戦後の反日の源流は、臨時政府のこの「法統」にあり、独立当初から韓国の対日政策の基本になったと考えられる。

 なお、「日本イコール独逸」論は、今日、我が国をナチス・ドイツに例え、かつての枢軸国と連合国との対立を想起させ、問題の国際化によって有利な外交戦・宣伝戦を展開しようとしている中国の論法や手法と気脈を通じるものである。

 一方、韓国の独立が、自らの力によって成し遂げられたものではないという否定できない事実は、韓国民にとって、屈辱的で不名誉な歴史的負の遺産であると認識されたのは当然であろう。

 そのため、独立に際して国民の団結を促し、国家としての名誉挽回を図るうえで、日韓併合は日本によって一方的に強制されたものであり、その強制に対して韓国民が立ち上がり、独立運動によって自ら独立を果たしたという歴史の虚構を作り上げる必要が生じたのは想像に難くない。強制されたと主張する従軍慰安婦問題も、同じ虚構の延長線上にある。

 以降、改竄された虚構の歴史を韓国の基点とする以上、そこから日韓間の歴史認識のねじれは必然的に生じる。そして、韓国側はそれを争点化して対日批判の手段として駆使し、今日に至ってさらに強化しているのである。

反共が民族主義に変わり、反日を増幅させる韓国

 大戦後の朝鮮半島は、日本の敗戦(1945年)とともに米・ソの利害対立の結果として38度線を境に南北に分断された。米国の信託統治下にあった南朝鮮(韓国)は、いわゆる米国型の自由民主主義国家として独立し、米国に亡命し反日活動を行っていた李承晩が帰国して初代大統領に選出された。

 したがって、ソ連による信託統治の下にあり、同国の傀儡と言われた金日成の北朝鮮に対する反共主義は、韓国独立以来、もう1つの基本政策であった。

 1961年5月16日、軍事クーデターを起こした朴正熙(現朴槿恵大統領の父)が大統領に就いて軍政を布いた。その後、全斗煥、盧泰愚の軍人大統領による、いわゆる強権的な政治体制が続いたが、1987年6月29日の盧泰愚大統領の「民主化宣言」によって新たな時代が始まった。

 1993年2月25日、文民政治家の金永三が大統領に選出され、以降、文民政治家の大統領が定着して韓国政治の民主化が進展したと言われている。