2月5日から6日にかけ、いくつかの報道機関が「現代のベートーベン」扱いされていた自称作曲家が実際には一切作曲などしておらず、すべてを他の人物が代作していた事実を報道し、関連する番組をオンエアした局は併せて「お詫び」を告知しました。

 この「偽ベートーベン」に最初は騙されて、結果的に楽曲を提供し続けさせられていたのが新垣隆君と知り、直ちに自他共通する情報をきちんと整理しなければならないと思い、本稿を書いています。

 以下では「週刊文春」2月13日号 第24ページから31ページまで活字で記された記事を元に経緯を確認したいと想います。

 新垣隆君は、私も同じ作曲のフィールドで仕事する、私よりは6歳ほど若いですが、折り紙つきの第一級の芸術家です。

 初めて彼を知ってからかれこれ四半世紀近くになりますが、誠実で、普段は控えめで、人間性はとても優しく、しかし音楽の主張は明確で、素晴らしい耳と手を持つ高度なピアニスト、ピアノ教授でもあり、つまるところ、彼の悪口を言うような人が、ちょっと思い浮かばないような第一人者です。

 翻って、今回彼を利用してきた人間については、その名を記す気にもなりませんので「偽ベートーベン」と記すことにします。普段私は「ベートーヴェン」と表記しますが、この人物は「偽ベートーベン」が適当と想います。

将来を約束された才能

 週刊文春を手にする多くの読者が、「作曲科を出たけれど食べられず、ゴーストライターをさせられていた売れない芸術家」のように新垣君を誤解しそうな文面なので、これを真っ先に否定しておかねばなりません。

 新垣隆君は、日本で芸術音楽の作曲に関わる者で知らない人のない、彼の世代のトップランナーの1人として20代前半から注目されてきた芸術家です。

 雑誌の記事には事情を知らないライターの「分かりやすいストーリー」で「ピアノの腕前もプロ並み」などと書かれていますが、とんでもないことです。

 彼はプロフェッショナルのピアニストを養成するうえで最も高度に教育指導できるピアノの教授者で、何千人という学生が彼の教えを受けてピアノ科出身者としてプロの仕事をしています。音楽家としての彼の挌は国際的に見ても超一級の折り紙がつけられるでしょう。

 新垣君のピアノの能力を端的に言えば、普通に目にする協奏曲ソロ程度の譜面は初見(初めて楽譜を見てその場で弾くことをこう呼びます)で音にすることができ(恐ろしく指が回ります)、さらに読みながら批判的、建設的な解釈を瞬時に読み出し、2回目に弾くときには一通りの演奏になっているというレベルの資質と能力を持っています。

 彼にはピアノでも世話になったことがありますが、鮮やかに弾き切ったあと「こんなんで、いいんでしょうか・・・」と常に謙遜して、「もっとちゃんと弾かなくちゃいけません」と言う、そういう音楽家です。