今年は午年。1954年生まれの安倍晋三首相をはじめとして43人の国会議員が年男・年女となる。ざっと世界を見回してみても、アンゲラ・メルケル首相、フランソワ・オランド大統領、デビッド・キャメロン首相といった独仏英の首脳、さらには「欧州最後の独裁者」とも呼ばれるアレクサンドル・ルカシェンコ・ベラルーシ大統領も(そんな風習はないだろうが)年男・年女である。

1894年、世界初の映画館がニューヨークにお目見え

ヒューゴの不思議な発明

 これまでの「公式」最高齢記録は122歳というから、(現在実際には存在しないようだが)今年「大還暦」を迎えた人が生まれた120年前から、映画とともに、午年を振り返ってみることにしよう。

 まずは1894年。日清戦争の勃発したこの年、ニューヨーク、ブロードウェイに、のぞき穴から「動く写真」を見ることができる「キネトスコープ」が登場した。発明王トーマス・エジソン・ラボの発明品「キネトグラフ」を使い撮影された動画が見られる「世界初の映画館」である。

 しかし、スクリーンに映写されるものではなかったことから、「正式の」映画の誕生の栄誉は、翌95年、フランスのリュミエール兄弟による「シネマトグラフ」に譲っている。

 1906年。単なる映像記録として始まった映画は、『ヒューゴの不思議な発明』(監督のマーティン・スコセッシは1942年午年生まれ)にも描かれたジョルジュ・メリエスの特撮など、欧州を中心に進化を続けていた。

 戦争続きの日本でも、日露戦争の従軍カメラマン、千葉吉蔵が社会活動家高松豊太郎と組み製作した風刺劇集『社会パック活動写真』が、この年公開されている。初の長編映画は、オーストラリア映画『ケリー・ギャング物語』。この年の作品である。

 1918年。カリフォルニア南部の畑ばかりの地に、のちの「映画の都」の開発が急ピッチで進められていた。米国は、欧州の戦争である第1次世界大戦に、前年から参戦、兵士を称える愛国主義映画を多く製作していた。

 しかし、参戦した兵士たちの実情は、塹壕から動くことのできない消耗戦の犠牲者。飛行機、戦車など目覚ましい発展を遂げた武器により、双方死傷者だけが増えていく平行線の戦いだった。

 この戦争で、それまで映画界の中心にいたフランスやイタリアは壊滅的打撃を受け、戦後の復興も遅々として進まなかった。そして、戦場とならなかった米国が、政治経済のみならず、映画の中心地としての地位も築き、「狂乱の20年代」の繁栄へと向かうのである。

 1930年。世界は大恐慌にあえいでいた。映画界には、トーキーという新しい波が押し寄せ、米国では音楽映画など享楽的作品が多く作られていた。