「CMは企業が言いたいことの拡声機ではなく、企業と大衆が『合作』するものだ」──。

 2013年10月20日、『広告批評』(マドラ出版)を主宰し、広告業界に多大な影響を与え続けてきた天野祐吉氏が亡くなった。

 冒頭の一文は10月22日の「天声人語」(朝日新聞)で紹介されていた氏の言葉だ。いまなおその鋭さは失われておらず、2013年の広告を厳しくえぐる。

 昨今のテレビは特に若者の求心力を失い、「拡声機」の役割がより強くなっていった。また、ますます複雑多様化したソーシャルメディアでは企業または人々が一方的な情報発信を行ってきたため、炎上事件が相次いだ。

 天野氏の警句があったにもかかわらず、どうしてこのような事態が起こるようになったのだろうか。

メディアが4つだけだった大量生産・消費時代

 きっかけはIT革命にある。

 それ以前のメディアは実質4つしかなかった。ご存じ、テレビ・新聞・ラジオ・雑誌。これらのメディア、とりわけ前者の3つにおいては、企業は予算さえあれば好きなタイミングで好きな内容を組み込むことができた。しかも情報はそこにしかなく、生活者に選択肢はない。ゆえにメディア離れが起こるはずもなく、人々が情報発信することもできないのだから炎上も起きない。

 そうしたメディアでの広告効果は高く、企業は率先して大衆向けの広告を打つ。結果、同じものを買う人ばかりが増え、大量生産・消費の時代が生まれた。

 しかし、1986年に現在の激動へと繋がる出来事が起こる。男女雇用機会均等法の施行だ。これを機に(女性のための)ファッション誌を先導とする雑誌文化が形成され、生活者による「情報の取捨選択」が行われるようになった。

 すると、大衆はそれぞれの感性を発揮する個人となり、「私」の感性に合わない大衆向けの情報は選ばれなくなっていった。