今、イランのテヘランに来ている(11月12日記)。ちょうど、ジュネーブでの第2回の核問題交渉が終わったところである。
一昨晩のイランのニュース番組は、「P5プラス1」(国連安全保障理事会常任理事国のアメリカ、ロシア、フランス、イギリス、中国にドイツを加えた6カ国)との交渉が妥結に至らなかったことを一様に残念な様子で伝えていた。それほどに、イラン国民の間でも核問題交渉の成功に対する期待は驚くほど高い。
今回のイラン出張は、笹川平和財団の要請で、イランの主要な政府系シンクタンクであるイラン外務省付属の政治国際問題研究所の有識者と意見交換することと、もう1つのイランのシンクタンクである中東戦略研究所でアメリカのアジア政策について講演することを依頼されたからだ。(中東戦略研究所での講演についてはこちらを参照)
今回は、イランの人々が何を考えているのか、そして、イランがどういう国になろうとしているのか、イラン人の具体的な言葉とともに、考えてみたい。
イランのイメージギャップ
テヘランに久しぶりに来て驚くのは、日本を含めて国際社会ではイランの悪いイメージが蔓延っているのに対し、当たり前といえば当たり前だが、イランの人々はごく普通の生活を送っているという、なんでもない事実である。
この10年ほどでテヘランの街は、国際社会の制裁にもかかわらず、大きく発展している。途上国にはよくあることだが、車の増加による道路の渋滞も激しい。通りを行く車も、制裁が行われているものの、いくらでも近隣国から輸入できるため、新車も含めて多くの車が行き交っている。昨日などは、市内の大気汚染のために市内の小学校が一時的に閉鎖になっているほどである。
この数年で、制裁のためにインフレが格段に進行したとはいえ、もともとイランの物価自体は相当低いものであったことも事実である。街に出れば、例えば、テヘラン中心部のバーザールには、物資は豊富に溢れている。そしてテヘランの街は、昔からある中東地域の典型的な都市の様相と変わりはない。もちろん、ドバイやイスタンブールなどの最先端の都市が特殊なのであって、むしろ、テヘランは石油収入を反映して、それなりの発展を遂げていると言ってよいのだろう。