荒蝦夷(あらえみし)。その名が連想させるように、東北の地で、東京におもねらず、東北の知と文化を猛々しく発信している出版社が仙台市にある。
東日本大震災で大きな被害を受けたが、全国の書店などの応援や、それまでに培った執筆者たちの人脈を支えに事業を再開させた。
その中身も、被災地から発信する総合誌である『震災学』の発刊や、東北学院大学が主催する連続講座「震災と文学」の企画・コーディネート、さらには小森陽一さんが「3・11」を強く意識しながら仙台文学館で連続講義した講義録『仙台で夏目漱石を読む』の発刊など、震災に軸足を移した活動を広げている。こうした功績が認められ、出版社を対象にした唯一の賞である「梓会出版文化賞」の2011年度新聞社学芸文化賞を受賞した。
社員3人の小さな出版社の代表である土方正志さん(50)に、地方の出版社が震災にどう立ち向かってきたのか、話を聞いた。
「ここで廃業すれば・・・」と頭をよぎった
――震災当日は、仙台にいたのですね。
土方正志さん(以下、敬称略) 仙台市内にあるマンションの事務所で弁当を食べていたら、激しい揺れが来て、弁当が机から吹っ飛んだんです。逃げ場を確保しようとドアを開けたところで、さらに激しい揺れが来て、書棚は倒れ、キッチンの戸棚からは食器類が床に落ちてきました。潜り込んだテーブルの下で、「バカヤロー、おさまれ」と叫びながら、床を叩いていました。その時、思い浮かんだのは1995年の阪神・淡路大震災です。建物の倒壊による圧死とその後の火災による焼死がとにかく怖かった。
――阪神・淡路大震災を思い浮かべたのは、どうしてですか。
土方 大学(東北学院)を卒業したあとフリーランスの記者をしていたときに、震災直後から神戸に入り、5年間にわたって取材をしたからです。あのときと比べて、今回の地震では建物の倒壊が少なく、火災の発生も少なかったのに驚きました。耐震や免震の建物が普及したためですが、その背景には、宮城県沖地震が来ると言われていたことがあるのでしょう。
――被災して、出版社の方は廃業を覚悟しましたか。