MRIC by 医療ガバナンス学会 発行

 2年間の留学期間を終え、11月より相馬市に入り、相馬中央病院で勤務をさせていただきます。これからも、あと少しロンドンのことを書かせていただく予定ですが、恐らくこれが帰国前に書く最後の「倫敦通信」になると思います。

 そこで今回は、今、私の立場でしか書けないことを書こう、と思いました。それは、ロンドンに住む日本人から聞かれた被災地への批判の声です。

 これまで、ロンドンに在住の日本人の方々に福島のお話をさせていただくことが何度かありました。聞いて下さった方はジャーナリストや実業家、慈善家、学校職員、主婦の方など様々です。

 ロンドンに住む多くの方は「この時期だからこそ震災を忘れてはいけない」ということを強く感じていらっしゃいます。今でも寄付やボランティアの先を積極的に探されたり、ロンドンでも様々な活動をされたりしています。

 「自分たちも遠くからではあるが何でも支援していきたい」という熱意を持っていらっしゃる方がたくさんいました。その代表的なものが「TERP London」といって、実業家の方々が被災地の産業を支援する、という形でいくつかの産業に発展しているようです。

 しかし一方、この熱意が伝わらないことに対するフラストレーションを打ち明けられる方も少なからずいらっしゃいます。「チャリティーをやりたくても軒並み断られるようになってしまった」というシンプルなものから、文化の壁を感じた、というものまで様々です。

 日本人の発想として、被災地の人間を批判することは「事情も知らないくせに」「かわいそうな人々を攻撃するなんて」と眉を顰める方もあると思います。

 これは、日本語の「批判」という言葉に英語でいうところの「criticise」と「accuse」の両方の意味が込められているためなのかもしれません。事情も知らない人からの「accuse」は避けなくてはいけませんが、遠方から事態を俯瞰されている方々の「criticise」は、物事をバランスの取れた方向に進めるための糧になると思っています。

 一方、被災地に間違った同情をすることによりこのような批判を表に出さないことで、被災地と外の世界との間に心の壁ができてしまったらそれこそ本末転倒です。

 また私自身も来月から「批判される」側の被災地に赴く予定ですので、これは自分自身への備忘録とも言えるかもしれません。