アメリカ東海岸・ペンシルベニア州のスリーマイル島原発からの現地取材報告の3回目を書く。前回までの「行政」「住民避難」の問題に続いて「報道」に焦点を当てる。福島第一原発事故では、日本の新聞テレビは、東京電力や政府の秘密主義を突破できなかったどころか、放射能を恐れて現場取材することすら放棄してしまった。その結果、政府・東電の情報の混乱や出し渋りに、まったく対抗できなかった。結局、市民は報道で避難に必要な情報を得ることができなかった。避難は大混乱し、23万人近い市民が放射能を浴びた(2012年10月、福島県の調査)。1979年のスリーマイル島(TMI)原発事故ではどうだったのだろうか。

 事故当時、ペンシルベニア州の州都ハリスバーグで州政府・議会担当の地元紙記者だった ロバート・スイフト氏(60)に会って話を聞いた。スイフト記者は、今も州政府・議会を担当する現役の新聞記者である。ハリスバーグはTMIから北に約20キロのところにある。アメリカの行政制度では、州政府・議会の持つ行政・立法権限は日本の国政府・国会にほぼ等しい。スイフト記者は、ペンシルベニア州内の地方紙数紙にニュースを配信するニュース配信社のスタッフライターである。日本で言えば、首相官邸や国会を担当する全国紙か通信社の政治部記者に似ている。

 今回も、取材していて福島第一原発事故との共通点が多いことに驚いた。

・地元で第一報取材にあたる記者には原子力発電に関する専門知識を持った記者がいなかった。地元にいたのは州行政や事件・事故を取材する記者がほとんどだった。

・アメリカ全国でも、原子力発電の分かる専門記者は希少だった。その到着は事故発生から数日後だった。

・第一報を含め、住民避難に必要な初期の報道は専門知識・理解不足のままだった。

・電力会社は事態を過小評価し、情報を出し渋った。情報はコロコロ変わった。断片的で全体像が見えなかった。

・政府と電力会社が記者会見・発表を別々にしたため、矛盾する情報が出た。報道は混乱した。窓口の一本化は遅れた。

・政府も電力会社が出す以上の情報は集められなかった。あるいは情報の意味が理解できなかった。

・結局、報道は断片的で理解しにくいニュースを流すしかなかった。

・その結果、住民はパニックを起こした。