東欧、特にブルガリアとルーマニアで、1990年代以降、主に若い女性が「人身売買」の犠牲になり、性搾取されているということを書いてきた。
ブルガリアの元弁護士によると、「ソ連崩壊以降、1990年代に東欧に非常に劇的な変化が起きた。カネはなくなり、インフラは維持できず機能もせず、そして腐敗と犯罪が横行した。この状況は社会の一切の規範を破壊した。アルコールやドラッグの中毒者が増え、自殺率は上昇し、平均寿命が短縮し、差別による暴力で多くの犠牲者が出た。多くの人が国を出ていった」という。
ソ連崩壊後、ほぼ一夜にしてこれほどの変化が起きたのだ。
「西側」にいる私たちが聞かされてきたことは、「『共産圏』では一切の自由がなく、国民生活は独裁体制に支配され、生産性は上がらず経済効率も悪く、云々・・・」であったのだが、それでも国家機構と社会体制は機能していた。少なくとも国民は自国でまともに食っていくことはできたということだ。
それが体制の解体により一切の秩序がたちまち崩壊し、社会機構が最低限の機能すら保てなくなったわけだ。
今回は、1990年代以降に旧ソ連圏と東欧に何が起きたのかについて書いてみたい。
東欧ブロックの瓦解と「解放」後
世界史の結節点となる東欧諸国での大激震が始まったのは、1989年、ポーランドで「連帯」が政権を奪取した時だ。もちろんそれ以前にも様々な要件があったわけだが、この「連帯」の勝利後、雪崩を打つようにベルリンの壁が崩壊し、東ドイツ、ハンガリー、チェコスロバキアが「民主化」し、ルーマニアのニコラエ・チャウシェスク大統領の銃殺が続き、こうしていわゆる「コミュニスト」主義圏の政権が総瓦解した。
1990年には東西ドイツが統一、バルト3国も独立を宣言し、1991年12月にはミハイル・ゴルバチョフがソ連大統領を辞任、これをもってソビエト連邦は消滅、冷戦は終結した。
その後にやって来たのは自由と平和と繁栄ではなく、経済的混乱と国民のすさまじい貧困化だ。世界的には、ユーゴへの爆撃やアフガン、イラク戦争など、戦火の拡大である。
東欧ブロックの崩壊後に権力を掌握したのはロシア共和国の元首ボリス・エリツィンだ。ウィキペディアには「急進改革派」と書かれているが、エリツィンは急進というよりはほぼ暴力的に資本主義化政策を遂行した。
1992年1月には直ちに「物価自由化政策」に着手、同時に国有企業を次々と民営化し、国際通貨基金(IMF)など「西側」国際機関の助言に従い「ショック療法」と呼ばれる急激な市場主義経済を導入、土地の私有化と土地売買の自由化政策などを強引に導入していった。
これらは「世紀の実験」などと言われたが、これが超インフレ、流通機構の破綻、生産の激減、そして失業の増大などの経済的大混乱を引き起こした*1。
このあたりの事情は、当時ずい分経済書などを読んだのだが、筆者の頭の中では以下のような構図で理解されている。