米国ニュージャージー州ジャクソンには、聖ウラジーミル教会なるロシア正教の教会がある。この教会には、アジアからヨーロッパへ移住し、さらに米国にまでたどり着いたカルムイク人たちが眠っている一角がある。
その人たちの墓に残された写真、刻まれた生まれた年と死んだ年の記録は、故郷を遠く離れ、ようやくここまでたどり着き、やがて異国の土となった人々がいたことを物語っている。
3度目で最後の大陸
幼くして亡くなった子供や、妻あるいは夫の遺骨を抱いて米国にやって来ただろうことを想像させる年月日が刻まれたものもある。
「3度目で最後の大陸」は、インド系作家ジュンパ・ラヒリが描く、アジア、ヨーロッパを渡り米国にたどり着いたインド人とその妻の話であるが、同じような移民は、モンゴル系の人々にもある。
新疆から17世紀前半にボルガ河畔に移り住んだカルムイク人たちである。
彼らに関する話は、「日本に憧れる欧州唯一の仏教国、カルムイク」で大枠を語ったが、ヨーロッパから米国へ渡ることには少し触れただけである。
今回は、米国で出会ったカルムイク人の話などを通じて、「3度目の大陸」に渡るまでの道のりに関してお話をしてみたい。
そもそものきっかけは2008年9月、ワシントンDCで行われた国際会議で、米国籍のカルムイク人と知り合ったことに始まる。
スーツ姿の発表者たちの中、ゆったりとしたシャツを着てこの会議に参加していたアレクセイ・イワンチュコフ氏である。きびきびとした動きをしていたので、後で70代と聞いたときには驚いた。
会議での私の発表テーマが1920年代のカルムイクについてであったため、プログラムを見て彼からアプローチがあった。私がカルムイクに1年滞在したことがあることを告げるとさらに興味を持ってくれた。